「中央公論」編集長からのチップ
店は電車通りを挟んで中央公論社の向かいにあった。昼食どきになると、「金時さん」というあだ名の赤ら顔の客が必ず現われ、和服姿で「一言も口を利かないで、猛スピードで食事を済ませ」、食事代のほかに50銭銀貨をテーブルに置いて立ち去る。その客の正体は『中央公論』の名編集長、滝田樗陰だが、宇野は夢にも知らず、『生きて行く私』には「ただ、この大きな五十銭玉の銀貨を貰うのだけが目的で、毎日いそいそと燕楽軒へ通って行った」とある。
『私の文学的回想記』は、当時の50銭銀貨を「いまの五千円くらゐにも当りませうか」と振り返り、「袷の着物の裏を剥がして単衣にし、その単衣を着て店へ出たりしてゐた」と書く。「九円の金が溜まった日に、店をやめて了ったのです」と宇野は記し、『生きて行く私』によれば、その額は質屋に入れた品物がすべて出せる金額だった。
ウエイトレスをした店で芥川と…
その間、樗陰が連れてくる文士たちの顔を、宇野は目にしている。『生きて行く私』には「あれは芥川龍之介、あれは久米正雄と、その頃の私でも、容易に見当のつく」文士たちが「瀧田樗陰につれられて店へ来ることがあった」とあり、『私の文学的回想記』も「社に用事があって訪ねて来る作家を、滝田樗陰がつれて来る」順序だったとして、芥川、久米、菊池寛、佐藤春夫らの名を挙げる。
芥川は大正7年(1918年)に『地獄変』『蜘蛛の糸』『奉教人の死』と世間を驚かせる傑作を次々に発表し、翌大正8年(1919年)には海軍機関学校を辞めて大阪毎日新聞社の社員待遇となり(当時は新聞社が作家を囲うために社員とした)、田端の自宅で創作に専念した。ドラマ内で「今いちばんの売れっこ先生」と呼ばれる勢いは、そのころの姿に沿っている。宇野が見ていたのは、20代半ばから後半の芥川だった。ただ、宇野の著作では芥川は客の一人にとどまり、言葉を交わした場面は出てこない。
直接の交流があったのは今東光
2人を結ぶ細い糸が、芥川の短篇『葱』である。燕楽軒には、「まだ文士と言うほどではない、画家と言うほどでもない今東光」もやって来た。『生きて行く私』によれば、東光(「ブラッサム」で北野秀気が演じる左良太のモデルか)は宇野に目をとめ、「店がはねる時間まで店の外で私を待っていて、駕籠町の家の外まで、私を送ってくれた」という。

