他人の評価のために自分をすり減らさない

私の場合、仕事においてテレビやラジオといったマスメディアへの出演や、不特定多数に向けた発信を大幅に削るという「引き算」を行った。テレビやネットの無料空間には、他者へのルサンチマンを抱えた人々がうごめいており、言葉の真意が歪められて消費される危険性が高いからだ。

その代わり、私の言説を本当に必要としてくれる読者に確実に届くよう、書籍の執筆や有料のメールマガジンなどに自らの時間とエネルギーを集中させた。すべての期待に応えようとする八方美人的な態度は、結局のところ誰の期待にも深く応えられない結果をまねく。

自らの限られた時間と体力を最も有効に使える場所(メディアや仕事)を見極め、そこに持てる資本を投下する。

これは一般のビジネスパーソンにとってもまったく同じであり、年齢を重ねてからは「何をやるか」以上に「何をやらないか」を決めることが不可欠になる。この引き算の論理は、人間関係にも同様に適用できる。

若いうちは顔を広げるために多様な人々とつき合い、人脈を広げることも必要だが、40代、50代をすぎてからは、義理やしがらみだけの無駄なつき合いを整理していく時期に入る。

残りが限られている人生の時間を、「人に認められたい」という思いから、自分を消耗させるだけの希薄な人間関係に費やすのはあまりにも愚かだ。

人生後半を支える「真の人間関係」

「人に認められたい」という欲望に際限はない。その思いが強くなるほど、人は不幸になっていく。一方で、本当に信頼できる友人や家族、そして師と呼べる存在との関係は、より深く、強固なものにしていかなければならない。

特に、人生後半で自分を支えてくれるのは、損得勘定を抜きにして苦楽を共にした人間関係である。残り時間が少なくなるほど、こうした真の人間関係の価値は高まっていく。

頭を寄せ合って笑う二人のシニア女性
写真=iStock.com/LaylaBird
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では、取捨選択した末に残された時間を、私たちは何のために使うべきなのか。プロテスタントのキリスト教徒である私は、大病を乗り越えて現在生きているこの時間を、「神が私におまけとして与えてくれた時間」だと受け止めている。

だからこそ、この残された時間を私利私欲や自分の名誉のために使うのではなく、他者のため、ひいてはこの日本社会を少しでもよくするために使わなければならないという強い使命感を抱いている。

引き算とは、何かを失うことではない。むしろ、本当に大切なものを、くっきりと浮かび上がらせる営みにほかならない。