死を「秘密の楽しみ」と考える
「死が楽しみだなんて、不謹慎だ」といわれるかもしれません。
でも、わたしは、死を「秘密の楽しみ」と考えることで、ずいぶん救われてきました。
誰も知らない世界に行く。誰も正確には体験談を語れない場所へ行く。そう考えると、ちょっとした冒険のようにも思えてきませんか?
今まで見たことのない景色、聞いたことのない静けさ、触れたことのない感覚。それを、最後に1つ、体験できるのだとしたら。そう思うと、怖さは、確実に小さくなるわ。
楽しみにしすぎる必要はありません。でも、怯え続ける必要もないわよね。そのくらいの距離感で、ちょうどいいのだと思っています。
年齢を重ねた女性たちとお話ししていると、「ひとりで死ぬのが怖い」という言葉を、何度も耳にします。「迷惑をかけたくない」といいながら、「でも、ひとりは怖い」とも思う。この2つの気持ちのあいだで、心が引っぱりっこをしているんですね。
でも、よくよく考えてみると、生まれるときも、死ぬときも、本質的には「ひとり」です。どんなに家族が見守ってくれても、最初の一息は、自分で吸う。最後の一息も、自分で吐く。
それでも「ひとりじゃない」と感じられるのは、その周りに、静かに立ってくれている人たちがいるからです。もし、その人たちがいなかったとしても――お気に入りの本、使い込んでボロボロになったエプロン、何十年も使っているマグカップ、窓の外の木、遠くで鳴く鳥。
それら全部が、最期まで「わたしのそばにいたもの」です。そう思うと、「完全にひとりきり」って、実はどこにも存在しないんじゃないかしら。
「ひとりで死ぬのは怖い」と思った日の夜は、ベッドの周りを、よく見てみてください。枕元のスタンドライト、壁に貼ったお気に入りのポストカード、子どものころからずっと好きな色の毛布。それらを1つずつ眺めながら、「あなたたち、最期までよろしくね」と、小さな声で挨拶しておく。
それだけで、「ひとりで死ぬ」は、「知り合いに囲まれて、静かに退場する」に少し変わっていく気がするわ。
年をとってから、よくされる質問
「死ぬのは、怖くないですか?」
これは、年をとってから、よくされる質問なの。親切から聞かれていることもわかっているし、心配してくれているのだろうということも、ちゃんと伝わってくるのね。
正直にいうと、昔は怖かったです。病気のこと、痛みのこと、そして、ひとりで迎える最期のこと。
夜、布団に入ってから、急に胸が締めつけられるようになって、「もし今、ここで何かあったら」「明日の朝、目が覚めなかったら」と考え始めてしまい、眠れなくなる夜も、何度もあったわ。
考えれば考えるほど、不安は膨らみ、想像は勝手に悲劇を作り出し、まだ起きてもいないことに、心だけが先に疲れていくの。そんな自分を、「弱いな」「情けないな」と責めたこともあります。
でも、あるとき、ふと思ったんですよ。本当に、ふっと、肩の力が抜けるように。
死ぬのも、初めてのことなんだ、と。

