数正の息子たちは関ヶ原でどうしたか
数正の子・石川玄蕃頭三長(一般には康長)が父の遺領を受け継ぎ、豊臣系大名になったが、関ヶ原の合戦では一転、家康方につき、所領を安堵された。しかし、慶長18(1613)年に大久保長安の事件に連座して改易されてしまう。弟の石川康勝は大坂の陣で秀頼方につき大坂城に籠城。元和元(1615)年に討ち死にしたとも、落ち延びて京都に移住したともいわれる(『大坂の陣 豊臣方人物事典』)。
なお、石川家成の子孫は2家が大名として存続して明治維新を迎えたが、戦後に零落して2家とも所在不明になっている。こんな大名家は他にない。主家を裏切った数正の報いが石川一族に及んだかと、一瞬脳裏をよぎってしまう。
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