田沼意知の刺殺事件を裁く

景漸が北町奉行だった明和六〜天明七年は、そのまま田沼意次たぬまおきつぐが老中に君臨していた年代と重なる。元号でいえば宝暦・明和・安永・天明で、「田沼時代」と呼ばれた。

鈴木白華筆「田沼意次侯画像」
鈴木白華筆「田沼意次侯画像」(写真=牧之原市史料館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

この時代の特徴は、幕府の財政難を解消すべく重商主義政策を推進し、株仲間(同業者組合を結成し、幕府や藩に冥加金=税を納める)も積極的に公認。また印旛沼の開発、貿易の拡大をはかり、貨幣経済の発展をもたらした点にある。

景漸は意次からの信任が厚かった人物で、意次の息子で、若年寄だった意知おきともが江戸城で刺殺された事件の事後処理をしている。大河ドラマ『べらぼう』でも描かれたのでご存じの方も多いだろうが、念のため概要を述べておく。