時代劇「遠山の金さん」でおなじみの遠山景元(とおやまかげもと)は、桜吹雪の入れ墨を見せて悪人を裁く名奉行として描かれる。ところが、景元が実際に下した判例はほとんど残っておらず、若い頃の遊び人伝説も別の奉行との混同から生まれた可能性が高いという。なぜ景元は時代劇のヒーローになったのか。江戸文化風俗研究家・小林明さんの著書『江戸町奉行列伝』(星海社新書)より、名奉行伝説が生まれた背景を紹介する――。

遊び人だが面倒見がよく、皆から慕われた

お白洲(江戸時代の法廷)で悪人が、

「お縄になった(捕まった)理由がわかりません。悪いことは何もしていませんぜ」

としらを切る。そこでお奉行様が、

「とぼけるな、この桜吹雪を見やがれ」

と片肌脱いで入れ墨をあらわにすると、悪人は仰天してひれ伏す――勧善懲悪の時代劇『遠山の金さん』のクライマックスである。

昭和の時代、『遠山の金さん』は大人気のテレビ番組だった。遊び人だが面倒見がよく、皆から慕われ、腕っ節も強い町人「金さん」が、上半身の右側に彫った桜吹雪のタトゥーをあらわにして悪人たちを懲らしめる。

金さんに倒された悪党たちが奉行所に捕まり裁判を受けると、「捕まる覚えはない」と、知らないふりをする。そこへお奉行様が入れ墨を見せ、「知らねぇとはいわせねぇぞ」と、啖呵を切る。

自分たちを叩きのめしたあのやくざ者が、実は町奉行だったことを目の当たりにし、悪人たちは観念する。金さんの決まり文句でドラマは幕を閉じる。

「これにて一件落着」

筆者が小・中学生の頃は、毎週放映されていた時代劇だった。最も記憶にあるのは四代目・中村梅之助さんが扮した金さんだ。他にも四代目・市川段四郎さん、杉良太郎さん、高橋英樹さん、松方弘樹さん、松平健さんら、時代劇のスターたちが演じた。

遠山景元の肖像画
遠山景元の肖像画(写真=千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

複雑な家庭に生まれ、放蕩に走る

金さんは一九世紀に実在した江戸町奉行で、名前を遠山左衛門尉さえもんのじょう景元といった。左衛門尉とは、古くは源義経も就いていた武士の官職の一つである。

天保十一年(一八四〇)から北町奉行、弘化二年(一八四五)から南町奉行を歴任した人物だった。通称は「金四郎」。これが“金さん”の由来である。

誕生は寛政五年(一七九三)。父は景晋かげみちという名だったが、元の姓は永井。つまり、遠山家に養子に入った人物だった。

金四郎が生まれたのち、養父に実の子が生まれた。自分の子(金四郎)より、養父の実子の方が後継ぎにはふさわしい――そう考えた景晋は養父の実子を自分の養子とし、金四郎の存在をしばらく秘匿していた。

その後、実子が早世したため、結局は金四郎が後継ぎとなる複雑な家庭だった。

江戸時代の武士は子が生まれないと他家から養子をとるのが普通だったため、こうしたケースも起き得たのである。

ともあれ、ややこしい環境に育ったことが、金さんの伝説を形作るのにひと役買う。すなわち複雑な家庭ゆえに若い頃は家から出され、庶民と一緒に町屋に住み、放蕩に走ったあげく、身体に入れ墨も彫ってしまった、と。

実際、景元が歴史の舞台に登場するのは文政八年(一八二五)、江戸城西の丸小納戸役に就いてからで、それ以前は不明なのである。

このとき三十三歳。西の丸小納戸役は将軍の世継(のちの十二代将軍・徳川家慶)に近侍する役職だった。