優秀な父・景晋により飛躍した遠山家

三十三歳まで何をしていたかわからないゆえに、無頼の青年期を過ごし、若気の至りで入れ墨まで彫ったという人物像がひとり歩きしてしまったのだろう。だが、実は父親の景晋はとても優秀な人物だった。寛政六年(一七九四)、昌平坂学問所で実施された学問吟味で最優秀成績を収めたという記録がある。また、長崎奉行、作事奉行、勘定奉行を歴任している。

特に長崎奉行を務めたことから外交能力に長けており、文化元年(一八〇四)にロシア外交官、ニコライ・レザノフが蝦夷地(北海道)に来航した際には、交渉役を担っている。

ニコライ・レザノフの肖像画
ニコライ・レザノフの肖像画(写真=ロシア国立歴史博物館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

遠山家の家禄は五〇〇石。幕閣の中枢に就く家格ではなく、実際にそれまでの遠山家には幕府の要職に就く者がいなかった。だが、景晋以降は重用されるようになる。