「七本槍が大活躍」は本当か

「七本槍」が功名を上げるまでの経緯をもう少し記すと、盛政にとっての想定外は、秀吉が岐阜から13里(52キロ)もの距離を、わずか5時間ほどで駆け抜け、本陣の木之本(滋賀県長浜市)に戻ってきたことだった。

4月21日、秀吉の部隊の猛追を受けた盛政の軍勢は、態勢を立て直したが、そのタイミングで後方にいた前田利家と利長父子、さらには金森長近と不破直光が戦線を離脱。前後から挟撃された盛政の部隊は壊滅したが、「七本槍」が手柄を立てたのはこのときだった。

勝家は周辺の部隊が総崩れになった挙句、本隊が秀吉の総攻撃を受け、多大な損失を出しながら北庄城に敗走。秀吉の軍勢に包囲された挙句、信長の妹で娶って間もない市とともに自害し、3000の城兵も討ち死にした。