教養を学ぶ「真の理由」とは
そう考えると、教養教育の定義がだんだんわかってきます。教養教育というのは、要するにコミュニケーションの訓練だということです。それも、なんだかよくわからないものとのコミュニケーションの訓練です。共通の用語や度量衡をもたないものとのコミュニケーションの訓練。
そうですよね。礼や楽は「存在しないもの」とどうかかわるかの技法です。「存在しないもの」が相手では、言葉や数値は持ち込みようがありません。射や御は「人間ではないもの」(大腰筋とか胸鎖関節というのは「人間の一部」ではありますけれど、「人間」ではありません)とどうかかわるかの技法です。ここにも人間的尺度は持ち込みようがない。
私たちがふだんなにごともなく使っている人間的用語や人間的尺度が「使えない」という条件で、何とかコミュニケーションを成立させる。その訓練が教養教育ということのほんとうの目的ではないか。私はそんなふうに考えます。

