戦国武将の美意識を体現する象徴

もともと中世の鎧兜は、非常に実戦的な武具でした。鎌倉時代の大鎧は重くて高価で、一生に一度作るような代物でした。古文書をひもとくと、財産相続で鎧ひとつが村二つ分の田畑に匹敵する、なんて話が出てくるくらいです。ところが、やがて時代が下り、戦いが騎馬武者の一騎討ちから集団戦へと移っていくと、重い大鎧では動けない。

そこで腹巻はらまきや胴丸どうまるが発達し、さらに戦国時代には当世具足とうせいぐそくへと発展していきます。防御力に加えて、機動性や量産性も必要になってくるわけです。その一方で、大将の鎧兜には別の役割が生まれました。守るだけではなく、「どう見えるか」が大事になってきたのです。

そうなると、兜は単なる防具ではなく、戦国武将の美意識を体現する象徴になります。僕は、変わり兜というのは、まさにその極致だと思っています。実用性だけを考えたら、こんな派手なものは必要ありません。鉄砲全盛の時代に、目立つ兜をかぶって前線に出たら、格好の的です。だから、こういう兜は先陣で斬り結ぶためのものではなく、後方から全軍を指揮する大将のためのものでした。味方には「殿は健在である」と知らせ、敵には威圧感を与える。そういう演出面での重要性が増していった分、防具としての合理性は薄れていったわけです。

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