戦国武将の美意識を体現する象徴

もともと中世の鎧兜は、非常に実戦的な武具でした。鎌倉時代の大鎧は重くて高価で、一生に一度作るような代物でした。古文書をひもとくと、財産相続で鎧ひとつが村二つ分の田畑に匹敵する、なんて話が出てくるくらいです。ところが、やがて時代が下り、戦いが騎馬武者の一騎討ちから集団戦へと移っていくと、重い大鎧では動けない。

そこで腹巻はらまき胴丸どうまるが発達し、さらに戦国時代には当世具足とうせいぐそくへと発展していきます。防御力に加えて、機動性や量産性も必要になってくるわけです。その一方で、大将の鎧兜には別の役割が生まれました。守るだけではなく、「どう見えるか」が大事になってきたのです。

そうなると、兜は単なる防具ではなく、戦国武将の美意識を体現する象徴になります。僕は、変わり兜というのは、まさにその極致だと思っています。実用性だけを考えたら、こんな派手なものは必要ありません。鉄砲全盛の時代に、目立つ兜をかぶって前線に出たら、格好の的です。だから、こういう兜は先陣で斬り結ぶためのものではなく、後方から全軍を指揮する大将のためのものでした。味方には「殿は健在である」と知らせ、敵には威圧感を与える。そういう演出面での重要性が増していった分、防具としての合理性は薄れていったわけです。

織田信長の肖像画(狩野宗秀画)、部分。1583年
狩野宗秀画 織田信長像(部分)(写真=長興寺所蔵/東京大学史料編纂所/PD-Japan/Wikimedia Commons

「自分は特別だ」と示さなければならなかった

この兜に限らず、戦国時代の兜は、本当にいろいろあって面白い。黒田家は水牛の角の兜で揃えているし、蒲生がもう氏や前田氏は「鯰尾なまずお」の兜を愛用しました。愛染明王あいぜんみょうおうもしくは愛宕権現あたごごんげんを意味する「愛」という一文字を掲げた直江兼続なおえかねつぐの兜も有名ですし、佐竹氏は「後ろへ下がらず前にのみ進む」というゲン担ぎから、毛虫の前立てを使っていました。

意外なのは、織田信長です。信長の兜はひとつも確実なものが残っていない。あれだけ存在感の強い人物なのに、兜は見つかっていないというのも、なんとも不思議で面白いところです。

本郷和人『カラー版 皇室のお宝』(中公新書ラクレ)
本郷和人『カラー版 皇室のお宝』(中公新書ラクレ)

その中でも、《一の谷馬藺兜》には、やはり秀吉らしさがよく出ています。秀吉は、金も好きだし、派手なものも好きだし、自分をどう権威づけるかを非常によく考えた人物です。成り上がり者だからこそ、血筋の代わりに、見た目や演出で「自分は特別だ」と示さなければならなかった。その意識が、この兜にもはっきりと反映されているのです。わかりやすく豪華で、人をあっと言わせるものを好む秀吉のキャラクターにぴったりの兜だと思いませんか。

結局、鎧兜を見ると、その人がどんなふうに自分を見せたかったのかがわかります。《一の谷馬藺兜》は、秀吉の武勇そのものを語るというより、秀吉が自分をどう物語化したかったのかを教えてくれる品です。強さだけではなく、縁起、権威、美意識、そして見せ方。その全部を一つにまとめてしまったところに、僕はこの兜の本当の面白さがあると思っています。

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