最後はアメリカ対中国の戦いに?

【保阪】しかしながら、石原の世界史の流れの読み方は、現在だと当たったことになりますよ。『世界最終戦論』の論旨からすると、最後は欧米のチャンピオンとアジアのチャンピオンが雌雄を決することになります。1991年にソ連が崩壊した後、アメリカ対中国になりました。石原とすれば、アジア方が日本ではないのが遺憾でしょうが。

【大木】彼は、ドイツに留学していた時代に、ヨーロッパの戦史も大いに吸収していますし、陸軍大学校でも優秀だったようですから、軍人の中でも東條英機(*1)のような「優秀な役人」とはひと味違ったのかもしれません。

満州事変で中国の瀋陽市に進入する日本軍部隊、1931年9月18日
満州事変で中国の奉天市(現・瀋陽市)に進入する日本軍部隊、1931年9月18日(写真=Asia-Pacific Journal:Japan Focus/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

陸軍のトリックスターだったか

【保阪】私は石原莞爾についても、まとまった本を書こうと思っていたのですが、なかなか書けずにいます。というのは、「石原山」には登山口がいくつもあるんですよ。

たとえば、東條英機を書こうとする場合は、生を受けて軍人になるまでの出発点から、軍人として国の首相となり刑死する終点まで、右顧左眄うこさべんせずに一直線の道を辿ればいい。軍人であるだけの生涯です。この道を追いかけて、最後の数年分で政治について入れていくと書ける。

一方、石原はというと、辿らなければならない道が六つも七つもある人物です。軍人であり、東亜連盟の賛同者であり、「世界最終戦論」の鼓吹者でもある。画家の人脈ルートもあります。関係先に画家のグループがあり、皆で石原に私淑している。特別な会を作っていて、石原の肖像画を描いています。この画家たちは、石原が将来名を残す軍人になるだろうと、石原の若い時から注目してきた。彼らも若かったわけです。東郷平八郎とうごうへいはちろう(*2)乃木希典のぎまれすけ(*3)などの時代にも、そのような動機で描いていたのだと思いますよ。

【戸髙】なるほど、山に登るルートがいくつもあって、単純に一回登るだけでは一面的な景色しか見えないのですね。

それにしても、その画家のルートは面白いですね。画家が世に出るきっかけとして、有名な人の肖像画を描くのは西洋でもあることで、キャリア・信用が増すのでしょうね。

(*1)東條英機 1884〜1948年。陸軍大将。陸士一七期。関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍大臣、内閣総理大臣など。陸相、首相として太平洋戦争の開戦と戦争指導における中心的存在となる。東京裁判でA級戦犯として処刑。
(*2)東郷平八郎 1848〜1934年。元帥・海軍大将。テムズ航海訓練学校卒。佐世保鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長など。海軍の指揮官として日清、日露戦争の勝利に貢献。しかし晩年には頑迷な姿勢を示し、海軍に少なからぬ悪影響をおよぼした。
(*3)乃木希典 1849〜1912年。陸軍大将。歩兵第一旅団長(日清戦争)、台湾総督、第三軍司令官(日露戦争)。幕末から明治にかけて活躍した陸軍大将。日露戦争の旅順攻囲戦を指揮したことで知られる。学習院長として昭和天皇の教育にも関わり、明治天皇の大喪の礼当日に妻と共に自刃。