戦後天皇制の象徴である愛子さまの存在

愛子内親王は、天皇の唯一の子どもであり、戦後の皇室が推し進めてきた、平和を志向する開かれた皇室の伝統をそのまま受け継いできた、象徴的な存在である。

戦後になるまで、天皇や皇族と結婚するのは皇族や旧華族の人間だけに限られてきた。明治天皇の側室でさえ、華族など上層身分の家の出身者から選ばれた。

ところが、美智子上皇后も雅子皇后も、皇族や旧華族とはいっさいかかわりのない民間の出身である。二人ともそのために多くの苦労を重ねてきたものの、皇室と国民との距離を縮める上で多大な功績を残してきた。

その結晶が、愛子内親王なのである。

生後3カ月頃の愛子さま(2002年3月)
生後3カ月頃の愛子さま(2002年3月)(写真=在チェコ日本国大使館/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

麻生副総裁としては、三笠宮寛仁親王と結婚した実の妹である信子妃が男の子を生んでくれていさえすれば、という思いがあるのかもしれない。その男児は、天皇の孫ではないので、「親王」ではなく「王」となる。

それでも、皇位継承の資格では、秋篠宮、悠仁親王、常陸宮に次いで第4位になる。悠仁親王に男子が生まれなければ、その男の子が将来の天皇になる。ここに最初の誤算があったのかもしれない。その道が断たれたことで、養子案を推し進めてしまったのである。

麻生副総裁の思惑通りに進んでいるのか

改正皇室典範は、24日に公布され、3カ月後に施行される予定だ。

養子案が実現されたことで、麻生副総裁の妹の三笠宮寬仁親王妃家か、副総裁の姪である彬子女王が当主となった三笠宮家が養親となるのではないか、と言われるようになった。もし、そうした方向に事が進めば、麻生太郎氏は養子縁組を介して、将来の天皇の親族に連なる可能性も出てきた。

ただ、その結果、麻生副総裁にそうした野望があるのではないかと批判されるようにもなってきた。

また、改正によって皇族費が増額されたのは、麻生副総裁とは血縁である彬子女王を優遇するためではないかという批判も生むことになった。なにしろ彬子女王の場合、以前の倍になったからである。

何もかも麻生副総裁の思惑通りに進んでいるのではないか。そんな疑問を、広く国民は抱くようになってきた。

そもそも養子案は相当に無理をして生み出されてきたものである。「苦肉の策」とも言える。平たく言えば、「ゴリ押し」だ。それも、伝統を破壊する側面を強く持っているからである。

何より、臣籍降下して何代も経った一般国民が皇族に復帰した前例はない。本人やその子どもが復帰したことはあるが、子どもとなれば、2例しかない。

孫以下は皆無である。旧宮家から養子に入ると仮定されている男子の場合、すでにその祖父でさえ皇族であった時代を経験していない。自分たちが皇族になるとは夢にも思っていなかったはずだ。