過去に起きた「凄惨な事件」

冒頭のように、筆者は、数え切れないほど人喰い熊事件を見てきたが、人家にクマが侵入したケースというのは極めてレアである。

有名なところでは、明治11年の札幌丘珠事件(4人死亡)、大正4年の苫前三毛別事件(7人死亡)、大正12年の沼田幌新事件(4人死亡)が凶暴な事例だが、他にもいくつか挙げてみよう。

一八七五年十二月八日、虻田郡弁辺村(現・豊浦町)の山田孝次郎宅に、一頭の猛熊が侵入し、同家に寄留している関川善蔵氏を咬殺し、孝次郎氏の長女と、やはり同家に寄留している亘理慶蔵の母に傷を負わせた。この事件の発生を知った岡田伝次郎氏は、すぐさま山田宅にアイヌ猟師六人とともに救援に駆けつけ、この猛熊を銃殺した(『新版ヒグマ 北海道の自然』犬飼哲夫 門崎允昭)


川上郡剣淵零号線、柳町市太郎(二六)が本月七日、無残にも喰い殺された椿事は当時報道したところだが、今その恐るべき顛末を左に詳報すると、(中略)七日午後七時頃、前記柳町市太郎が独りで夕飯を食している時、突然、前記の大熊が草壁を破って侵入して市太郎に飛びかかったので、卒倒せんばかりに打ち驚き、声を限りに救いを呼びつつ付近の安井某の宅目がけて逃げ込もうと懸命に走って行ったが遂に捕らえられた。安井某は市太郎のけたたましい悲鳴に打ち驚いて硝子窓より眺めると、熊は市太郎の背部より猛然躍り掛かると、その両足をつかんで風車のごとくクルクルと廻しながら悠々草藪中に姿を隠したが、身の毛もよだつこの恐ろしい現場を目撃しながら農家の事とて手の下し様もなく、みすみす恐怖におののきつつ悲鳴の遠ざかり行くを聞くのみであったと。(中略)玉木猟師の弾丸が美事に命中して首尾よく捕獲することを得たが、一方市太郎の死体は被害現場から約五百間の箇所において、わずかに頭と手足とのみを喰い残し、一面に鮮血にまみれた凄惨なる有様で発見され、見る者をして真に率然として肌に粟を生ぜしめた(「北海タイムス」大正6年11月27日)

右上は「札幌丘珠事件」で4人を喰い殺したクマの剥製
筆者撮影
右上は「札幌丘珠事件」で4人を喰い殺したクマの剥製(出所=『東区拓殖史 東区今昔3』札幌市東区)