美術館で現代アートを見て「意味不明だ」と感じる人は多いだろう。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「世界の超富裕層は、壁にダクトテープで貼られただけのバナナに約9億円を喜んで支払っている。彼らは決して狂っているわけではない。そこには極めて合理的な理由がある」という――。
2025年8月3日、メッツにあるポンピドゥー・メッツ・センターで、マウリツィオ・カテランによる作品『コメディアン』を鑑賞する来場者。評価額は620万ドルだが、この作品は腐りやすいため、アーティストは購入者に対して交換方法の指示書を提供している
写真=Hans Lucas via AFP/時事通信フォト
2025年8月3日、メッツにあるポンピドゥー・メッツ・センターで、マウリツィオ・カテランによる作品《コメディアン》を鑑賞する来場者。評価額は620万ドルだが、この作品は腐りやすいため、アーティストは購入者に対して交換方法の指示書を提供している

「子供でも作れそう」な絵に数億円払う人たち

休日に美術館へ足を運び、現代アートの展示室に入ったとき、多くの人は戸惑いを覚えるはずだ。真っ白なキャンバスに点が一つだけ描かれた絵や、ただの工業製品がポツンと置かれただけの空間。それらを前にして、「これならうちの子供でも作れそうだな」「何が素晴らしいのか全く意味不明だ」と苦笑いした経験を持つ人は少なくないだろう。

われわれの一般的な感覚からすれば、アートとは緻密な風景画や美しい肖像画など、一目見て「技術が優れている」とわかるものを指すからだ。あるいは、何百年も前の天才が人生を懸けて描き上げた、歴史的な遺物こそが何億円もする価値を持つと信じている。

しかし、その「意味不明なもの」や「子供でも作れそうなもの」に、世界の超富裕層たちは数億円、時には数十億円という信じられない規模の資金を投じている。

美術館内
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彼らはただ見栄を張るためだけに、無価値なものに大金を支払うような愚か者なのだろうか。いや、断じてそうではない。彼らは現代アートという市場に隠された「価値創造のルール」を完全に理解し、極めて合理的な消費行動をとっているのだ。

その事実を世界に見せつける、ある驚くべき事件が5月に起きた。

9億円超のバナナが盗まれた

今年の5月30日、フランス東部のポンピドゥー・センター・メスで、ある「盗難事件」が発生した。

展示されていた現代アートの作品が、何者かによって壁から持ち去られてしまったのだ。

実は、この作品のバナナが展示中に持ち去られたり、来場者に食べられたりするのはこれが初めてではない。過去にも複数回、同様の前例があるいわくつきの作品なのである。

盗まれたのは、イタリアの現代美術家マウリツィオ・カテランの《コメディアン》という作品である。

仰々しいタイトルがついているが、その実態は「本物のバナナを、銀色のダクトテープで壁に貼り付けただけ」のインスタレーション作品だ。

この作品は2019年にアメリカで開催された世界最大級のアートフェア「アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ」で初めて発表され、最初の2点は12万ドル〔約1300万円(※)〕、需要の高まりを受けて3点目は15万ドル(約1600万円)に値上げされ、瞬く間に3点が完売した。その後、アート市場の熱狂のなかでその価値はさらに高騰し、2024年のオークションではなんと約9.6億円(約624万ドル)という驚異的な価格で落札された。文字通り「世界一高額なバナナ」である。

※為替レートはいずれも当時のもの