第2に、同じく本人にまつわることだが、現在と未来のバランスがある。人事上の意思決定には、現在と未来のバランスはつきものだ。例えば、人材育成で重要だとされている「修羅場を経験させて人を伸ばす」というのは、端的に言えば、優秀な人に苦労をさせるということである。本人がどう思うかによるが、直近だけを見れば、ネガティブな処遇だと誤解されるかもしれない。

その意味で言うと、最近人事では、現在と未来のバランスをとるのが難しくなっているように思う。これまで、わが国の人事管理は、長期的な雇用のもとで、若年時の苦労が将来的に報いられる、ということが、人事管理の1つのポイントだった。

だが、経営側が導入した成果主義などの短期的成果に重きを置いた処遇の導入によって、短期的決裁が増えてきた。さらに、人々のマインドに、「意識としての成果主義」が根付いたように思う。意識としての成果主義とは、自らの貢献や成果が、短期的に報いられないとモチベーションがダウンしてしまう傾向である。または短期的な凹み体験から立ち直れないということなのかもしれない。いずれにしても、企業も働く人も長期的に帳尻を合わすということが下手になってきた。

第3に、組織上の配慮がある。これが周りから見ていて1番わかりにくい。会社が組織である以上、どんなに優秀な人でも、周りがその人間を受け入れないと仕事にならない。もちろん、異端児やとんがった人材を活用する組織でなければならないという議論も最近多くなってきた。私も、そうした人材が変革やイノベーションを起こすという主張にある程度賛成する。

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半沢直樹の出向はなぜ不可解か

その意味で、今後は半沢直樹のような人材を積極的に活用し、会社の変革をしていくことが必要なのかもしれない。でも、それはリスクを伴った判断だ。その結果、多くの企業は安全を志向し、組織のロジックを優先し、異端児や優秀な人材を活用しない。こうしたことにより、さらに、人事の意思決定は、外から見て非合理的に見えるのである。

こう考えてくると、テレビドラマ「半沢直樹」の最終回は、極めて伝統的な人事処遇だと考えられる。そして、そうしたことに不信感を抱いた視聴者の多くが、ある見方からすれば健全なのかもしれない。でも、人事処遇というのは、様々な要素のバランスの上になりたつ結果である。褒めると叱る、短期的評価と長期的育成、組織と個。どうバランスするかは、状況によって変化しても、これらをバランスしなくてはならないことに変わりはない。

企業には、このバランスを軽々に考えてほしくないし、また働く人は、辞令の裏に込められたよい意図も悪い意図も読み解く力をつけてほしい。そうすることが、企業で幸せに生きていく1つの道なのである。

(平良 徹=図版作成)
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