確かに、大和田常務が迂回融資などを行って、自分の妻が経営する会社へ金を流したことは大罪である。後でも述べるが、これは本人の懲戒解雇だけではなく、損害賠償訴訟にも発展しかねない大罪である。このことに対して、銀行としては、断固とした処罰をしなければならないし、その意味でドラマに描かれた対応はあまりいただけない。

だが、重要なのは、ここで半沢が大和田に土下座をさせていたのは(そして、彼の一連の行動の背後にあるのが)、父親の復讐のためであることだ。当時の大和田行員が追加融資を拒んだために、会社の経営が破たんし、父親が自殺をしたことへの恨みである。

これは「私憤」である。大和田常務の不正や会社にかけた損害への怒りから(だけ)ではない。もちろん、その場にいる役員たちがそのことをどこまで理解していたかはわからない。でも、あそこまでやらせれば、何らかの個人的な恨みが根底にあるということを多くの人が感じるだろう。

さらに付け加えれば、半沢の父親の会社から融資を引き揚げた大和田行員は、やり方や判断、態度などに問題はあったとしても、銀行員として仕事をしていたのであり、半沢家や父親が経営する会社に恨みを持っていたわけではなかったはずだ。その意味で、半沢直樹の、大和田個人への恨みは、銀行員として見た場合にも、不適切なのである。

人が仕事をするモチベーションにはいろいろなものがある。そして、そのなかには、個人的なものもある。強い思いや志を持つことは、サラリーマンとしては決して、悪いことではない。だが、それが最も大きなモチベーションの源泉になると、企業としては恐怖を抱く。サラリーマンである以上、最終的には、会社の利益を優先してくれないと困るのであり、私憤の大きさのあまり、判断を誤ってもらっては、困るのである。