「女将劇場」支える大学生アルバイト

その頃、アルバイトを探して山口大学の学生が旅館を訪ねてきた。試しに女将劇場の手伝いをさせてみると、飲み込みが早く、頼りになる。高美さんはどんどん新しい曲を作り、どんどん学生に教えた。

アルバイトの学生は次第に増えた。高美さんが最初に指導しただけで、あとは自分たちで集まって練習してくれる。そのうち、企画や運営にも参加するようになった。学生たちは、今でもなくてはならない存在だ。現在、登録している学生たちはおよそ20人。1回のステージには10人ほどの学生が出演する。

卒業し山口を離れたあとも、元学生が泊りに来てくれるのが嬉しいと、高美さんは言う。

「最初の子は、もう60歳くらいになっています。医者になりました、子どもができました、なんて顔を見せに来てくれるんですよ」

大学生たちの迫力ある白狐太鼓は、女将劇場の名物のひとつ
撮影=山口ちゆき
大学生たちの迫力ある白狐太鼓は、女将劇場の名物のひとつ

次々と拡張し大型旅館に

1979年にはJR山口線でSLやまぐち号の運行が始まり、観光客はさらに増えた。

この頃から、団体客が集まる宴会場をハシゴするのをやめ、広間やロビーなどで1カ所に客を集めて女将劇場を行うようになる。個人客からも「女将劇場を見たい」との声が上がるようになっていたからだ。

SL太鼓の演奏を始めたころ
写真提供=西の雅 常盤
SL太鼓の演奏を始めたころ

女将劇場は高美さん、営業は力さんと、役割を分担して2人は働き通した。遊びに行くことはおろか、子どもたちと過ごすことさえままならなかった。

「かわいそうでしたけど、子どもは3人とも、ほったらかしでしたね。従業員さんたちが見ていてくれました」

高美さんは妊娠・出産のときにも、休むことなく女将劇場を続けたという。

「お相撲さんのような大きなおなかで『高美山でございます!』とステージに出ました。ずっと動いていたせいか、安産でしたね。子どもが生まれたら体が軽くなり楽になるでしょう? だから退院したらすぐに女将劇場に復帰しましたよ」

1984年に2号館、1991年に3号館と、次々に新しい建物を建てた。客室数は90室を超え、500人を収容できる大きな旅館となる。

しかし、その直後、バブル経済が崩壊した。

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