20歳で旅館を継ぎ、生まれた「女将劇場」
短大を卒業した後、人前に出ることを嫌った母に代わって、20歳で女将を継いだ。経理から客室の壁の修理まで、何でもやった。
その頃の高美さんが着ていたのは、安価で丈夫なウールの着物。「それは女将が着るものではない」と客に叱られたが、他に着るものはなかった。
すっかり老朽化した旅館に、客は毎日のようにクレームを寄せる。お金をかけずに客に喜んでもらう方法はないかと考えて始めたのが、琴や太鼓と踊りでもてなすことだった。
高美さんは従業員と5人のチームを組み、「みんなで踊りますから見てください」と客室を回った。女将劇場の誕生である。
太鼓も旅館と同じくボロボロだ。しかし、古い太鼓でも焼酎をかけて温めるといい音で鳴る。演奏の前にバシャーっと焼酎を振りかけ、何食わぬ顔で音を響かせた。
雨漏りがする部屋では、桶を持って踊った。旅館の古さに文句ばかり言っていた客も、踊りが終わる頃には笑顔になる。
手ごたえを感じた高美さんは、太鼓や琴の新曲をいくつも作って従業員たちと稽古に励んだ。噂が広がり、農協や病院などから「うちでもやってくれんか」と声がかかるようになる。「断らない」ことをモットーにしている高美さんは、旅館の仕事の手が空く昼の時間に、出張公演のステージに立った。
その様子を取材に来た新聞の酷評が、高美さんの心に火をつける。
「『下手』って書かれたんです。でも、それでかえって発奮しました。もっといいステージにしようと頑張れたのは、その記事のおかげです」
20枚写真を配っても見つからなかった見合い相手
この頃、両親は、高美さんの結婚問題に心を砕いていた。写真を20枚ほど用意してあちこちに配って回ったが、見合い相手すら見つからない。
「『あんなボロ旅館の養子になんか』って誰も来てくれないんですよ。困っていたら、自分の親戚に男の子が5人おる家がある、ちょっと声をかけてみようか、と言ってくれた人がいて」
「そういうことなら、一度行きます」とやってきたのが、大阪の商社に勤めていた力さんだ。話を聞くと、大事な末の息子を養子にはやれないとお母さんが反対しているという。やはりこんな古い旅館では無理かと、高美さんも両親もあきらめかけた。
ところが、力さんは婿入りを決める。気が変わらぬうちに急げとばかり、それから5カ月で式を挙げた。
力さんの心を動かしたものは、なんだったのか。
「商社で4年働いて、自分で事業をしてみたいと考え始めていた頃でした。『鶏口となるも牛後となるなかれ』というでしょう。この旅館で、自分の頭で考えながら人生を歩んでみたい。この旅館を何としても立派に変えてみせる。そう思ったんです」
子どもの頃から女将になる覚悟をしていた21歳の高美さんと、この旅館を自分の仕事場と決めた24歳の力さん。夫婦の二人三脚がここから始まる。


