奪われていく直観と意味を見つける力

この思考のショートカットに慣れきってしまうと、どうなるのでしょうか。

認知科学の専門家である今井むつみさんは『AIにはない「思考力」の身につけ方』(筑摩書房)という本の中で、次のように語っています。

「人間は学びの過程で、考え、間違え、それを自ら修正することで、技を身につけると同時に、直観を磨きます。この直観こそが、この先みなさんが学ぶうえで非常に大切なものです。」

AIは、もっともらしい答えを出すことはできます。でも、子どもはその答えを身体でわかっているわけではありません。本来は、迷い、間違え、やり直しながら「なるほど、そういうことか」と腑に落とす過程が必要です。

人間は、遠回りの中で考える力を育てます。

わからない。でも、気になる。立ち止まる。考える。間違える。また考える。

そのくり返しの中で、直観が磨かれていく。

けれど、もし無自覚なまま、考えることをAIに預け続けたらどうなるか。

自分で意味を見つける力も、試しながら理解する力も、少しずつ弱ってしまいます。

だからこそ、今必要なのは、速く答える力ではなく、答えにたどり着くまでの時間を、自分の頭と心で生きる力なのです。

読書する少女
写真=iStock.com/kool99
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不便さこそが、思考力の土台をつくる

考える力とは、難しい知識をたくさん知っていることではありません。

限られた情報から、

「次はどうなるのだろう?」
「この人は、なぜこうしたのだろう?」
「自分なら、どうするだろう?」

と先を読み、意味をつないでいく力です。

それが推論する力です。

この失われやすい推論のプロセスを取り戻すのに、昔ばなしはとてもよい素材になります。なぜなら昔ばなしには、子どもが自分で考えたくなる「余白」と「くり返し」があるからです。

昔ばなしは、現代の創作文学のように、何もかもを親切に説明しません。登場人物の気持ちも、行動の理由も、細かくは語られないことが多い。

たとえば「かちかち山」のタヌキが、なぜあれほどひどいことをしたのか、丁寧には説明されません。

だから子どもは、自分の心と頭を使って考えます。

「なんで、そんなことをしたんだろう?」
「このあと、どうなるんだろう?」

さらに昔ばなしには、同じ展開がくり返される独特のリズムがあります。

たとえば「白雪姫」では、継母が姿を変えながら、三度も白雪姫を殺そうとします。

1回目。2回目。そして3回目。

そのたびに、子どもは手持ちの情報を総動員して考えます。

「また来た!」
「今度こそ危ない!」
「どうして白雪姫は気づかないんだろう?」
「自分だったら、どうするだろう?」

この「次はどうなる?」とドキドキしながら自然に先を予測する時間。夢中で物語の流れを追いかける時間。それこそが、推論の力を育てるのです。

AIがすぐに答えを出してしまう世界では、この時間が奪われやすい。

でも昔ばなしは、あえてすぐに答えを渡しません。

だから子どもは、考えるしかない。

その不便さこそが、思考力の土台をつくります。