ステレオタイプに当てはめた解釈は危険
別の考え方とは、「行為が起きる状況」に着眼する「状況論」という考え方だ。
たとえば「子どもが誘拐されやすい死角の多い場所」や「施錠されないままで財布が置きっぱなしの場所」といった、そういう行為が起きやすい状況であるかどうかが、行為が起きるかを決めていると考える。行為者の性格や属性は二の次として、「そういう状況」であるかを気にするのだ。
パワハラやセクハラも、同様ではないだろうか。
現実的に、セクハラ問題の主な加害者は「おじさん」なのかもしれないが、それはすべてのおじさんが加害者としての性向をもつことを全く意味していない。外国人犯罪が摘発されたからといってすべての外国人が犯罪に手を染めるわけがないのと同じくらい、当たり前のことだ。
そしておじさんは定義上だいたい昭和生まれで昭和を過ごしてきた方のため、「昭和のおじさん」といった何の意味もないレトリックを用いて強い印象を与えやすい。
動機論に基づいて個人特性を強調することは、「そうでない」人々への偏見を強めることと、「それ以外」による問題行動を看過しやすくするという二つの問題を生み出す。つまり、無実のおじさんをセクハラ予備軍とみなしたり、同性間のセクハラをセクハラだと認識しなくなったり、といった問題だ。
繰り返し、今回の事例で「誰が悪いか」は別として、男性俳優の主張は傾聴に値する。個人属性や動機のみに帰属させて良し悪しや善悪を語ろうとするのは、非常に危険なのである。
今回の事案から学べること
だから、職場のパワハラやセクハラを防止したければ、まずは「状況」に気をつけよう。
パワハラとはパワーハラスメント、つまり権力を行使したハラスメントである。権力ゆえに言い返せない状況、権力を盾に望まぬ苦役を強要させるような状況、そういう「状況」がないかをチェックすべきであり、上司がおじさんなのか部下が女性なのかといった情報は、相対的には関係が薄いとみなすべきだ。
事実がわからぬまま憶測だけが独り歩きしがちなゴシップからも、われわれの身近な状況をよくするためのヒントは得られるはずなのだ。そういう風に、時事問題を扱いたいものである。
参考文献:今井むつみ・秋田喜美『言語の本質―ことばはどうして生まれ、進化したか』(中央公論新社、2023年)、小宮信夫『子どもは「この場所」で襲われる』(小学館新書、2015年)


