「ハラスメント認定」が引き起こす事態

「ハラスメント」という表現も、離散性を含んでいる。完全なるハラスメントも、まったくハラスメントに該当しないことも両方あるなかで、「微妙」なラインの事案はたくさんうまれてくる。当事者で話し合い、仲介者も設け、丁寧に専門家を交えて議論をしても、微妙としか言えないケースもある。ところがそれを「ハラスメント」とラベリングしたとたんに、0か1かになってしまう。

そして現代は、微妙な事案であろうがハラスメント認定を受けた人への風当たりは非常に厳しい。お芝居の世界でも、著名な映画監督がハラスメントに関連する不祥事で一線を引くことを余儀なくされている例が複数ある。

フジテレビも、昨年来の不祥事でセンシティブになっている。「一発退場」が当然となった社会で、加害者と報道された男性俳優が必死になるのは当たり前である。

実際は微妙な事案であっても、それをハラスメントという0か1かの離散性のある言明によって判定してしまうと、過剰な罰を与えることにつながりかねない。

レッドカードを出す人
写真=iStock.com/BrianAJackson
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当事者の投稿から分かること

もうひとつ、考えたいことがある。男性俳優によるSNSでの投稿を引用しよう。

勿論、偏った記事とは思ってましたが、ここまでとは。ステレオタイプの「か弱い若い女性」と「典型的な昭和のパワハラオヤジ」を完全に創作してる。最大級の「注意」や「警戒」が必要と痛感していた僕が、そんな態度を取れる訳がない。自分の身を守る為にも。

嘘はやめて下さい。(注4)

本事案が実際にハラスメントであるかどうかという問題とは別に、この投稿には耳を傾ける価値がある。

この発言の背景には、ハラスメントの認定に伴って、個人特性が強調されすぎるという問題が隠れている。

たとえば、「中年のおじさん」が「若い女性」に対してパワハラやセクハラをすることは、動機に満ちているように感じられる。こうした、犯罪をはじめとして、ある行為がなされる主因は特定の動機に基づくとする考え方を「動機論」という。この考え方においては、行為を防止するためには動機を矯正することが必要だとみなす。

子どもを誘拐するのはそういう動機を持った怪しい人間だ、といった観念をもてば、「怪しい」人が疑わしくみえてくる。その観念は必ず、たとえば外国人や路上生活者といった「ふつうでない」人に疑惑の目を向ける志向を強めていく。

お金を盗むのは貧しい人間だ、なぜなら動機があるからだ、と推論することは、盗難があった際に貧困層をまず疑うという行為を正当化させる。

このように、動機論は広くみられる考え方であるものの、それだけでは、丁寧な推論ができるとはいえない。動機論には弱点があるからだ。まず、動機なるものがときに解明困難であり、本人すら説明できないこともある。そして、動機論は必然的に、個人特性に由来する差別に繋がっていく。

この問題については動機論だけでなく、別の考え方もしてみよう。

注4:佐藤二朗氏 Xのポストより引用