フジテレビの「失敗」とは

公開されている情報からしても、今回のケースは「微妙」だ。身体接触をNGにしていた女性俳優に対し、それを知らされていなかった男性俳優側が演技中に接触。これを機に話し合いがもたれたもののわだかまりは解消されず、ドラマ自体は大団円で放送を終えたものの、週刊誌報道以降はこの状況である。

テレビ番組の撮影現場
写真=iStock.com/microgen
※写真はイメージです

女性俳優は過去に他の男性俳優とは接触していただの、男性俳優側が収録中のオフショットで当て擦りのようなことをしているだの、ゴシップめいた非難は無限に湧いてくるものの、刑事事件に発展するような事件性はなく、「いざこざ」という範疇のものではある。

このようないざこざは、ハラスメントという言葉が広まっていなかった時代から存在することを、映画監督の三谷幸喜氏はほのめかしている(注3)

「現場で役者同士のコミュニケーションがうまくいかないみたいな時がある」

今回は異性間の接触を含むためセクハラの要素もあるものの、異性間でなくとも揉める要素は多分にある。役者同士が互いに妥協できず、モラルを逸脱した発言や態度がうまれることも、容易に想像できる。

三谷氏は経験的に対処の知恵を語る。

「揉める時に1番大事なのは当人同士で言い争いをしない。必ず演出家に言う。プロデューサーを挟むというのが1番の解決策」

このプロデューサーとは本事案におけるフジテレビの立場を指すわけで、やはり両者の仲介に失敗した結果、こうなっているとも考えられる。

注3:東スポWEB「佐藤二朗のハラスメント報道に三谷幸喜氏『男性俳優は顔がデカいから圧がある』」より引用

ハラスメント認定→途端に“クロ”になる

さて、ハラスメントについて、他に考えるべき重要な問題がある。

ハラスメント事案が抱える大いなる問題点は、少なからずの事案が「微妙」であるにもかかわらず、ハラスメントであると認定された途端に「クロ」となる点にある。

何を言っているのか、もう少し詳しく解説しよう。

たとえば赤色とされる色は、実際には「真っ赤」とは限らず、オレンジやピンクに近い色も含まれる。その意味で、色にはグラデーションがある。ところがそれを「赤色」と言明したとたん、微妙な差は消えてしまって「赤」だということになる。

もちろん、そういうグラデーションを表現する言葉もある。ピンクっぽい赤とか、赤紫とか。しかし、そういった曖昧な言葉は、現実を忠実に表現するために用いられるにもかかわらず、コミュニケーション上は曖昧であるがゆえに避けられたり、否定されたりすることもある。

ハラスメントという表現も、上記と同様のことが起きやすいと言える。微妙な事案であってもハラスメントと言ったとたんに「悪事」のレッテルを貼られる。「ハラスメントに近い」といった表現を「逃げ」と解釈する人もいるだろう。

このように、実態としてはアナログでグラデーションのあるものが、言語として表明したとたんに0か1かのデジタル化してしまうという現象を、「言語の離散性」という。