秀吉、秀長の描かれ方には違和感

同じ回では信長の嫡男、信忠(小関裕太)の残酷さも強調された。信長に歯向かうとどうなるか知らしめるために、羽柴秀吉(池松壮亮)が包囲している三木城(兵庫県三木市)に籠る城兵やその家族らを、見せしめとして皆殺しにするように主張した。三木城主の別所長治(下川恭平)は荒木村重と共同戦線を張っていたので、有岡城が落城した以上、こちらも落ちるのは時間の問題だったのだ。

結果としては、黒田官兵衛(倉悠貴)が割って入って、播磨(兵庫県南西部)の人民の心を羽柴、ひいては織田家に引き寄せるためには、あまり手荒なことをすべきでない、と主張し、信忠は三木城についての判断を、秀吉と小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)にまかせることにした。しかし、信長だけでなく、その直系の信忠も残酷なのだ、と感じ取った視聴者は、少なくなかっただろう。

実際、信長の仕打ちは、今日の基準からはもちろん、当時の標準とくらべても残酷なことが少なくなかったから、「豊臣兄弟!」でこのように描かれるのは、別におかしいことではない。

しかし、ひとつ問題を指摘したい。このドラマでは、信長父子との対比のうえで、秀吉と秀長兄弟は非常に寛大で、人命重視で、今日的にいえばヒューマニストであるかのように描かれている。その点には、強い違和感を覚えざるをえないのである。

「豊臣兄弟」は本当にヒューマニストだったのか

第24回では、三木城の城兵を救出することに、とくに小一郎がこだわった。有岡城に籠城していた人たちの命を救うことができなかったことを深く悔いて、三木城ではなんとか救いたい、という思いを強く打ち出した。

前述のように、信忠が最終的に、三木城の処分について羽柴兄弟にまかせたので、まず秀吉が三木城に乗り込んで城主の別所長治らと話し合い、長治が腹を切るのと引き換えに、城に籠る長治の家族、家臣とその家族らの命は救われることになった。

狩野光信・筆 豊臣秀吉画像(南化玄興賛)京都・高台寺蔵
狩野光信・筆 豊臣秀吉画像(南化玄興賛)京都・高台寺蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

残酷な信長と信忠のやり方に羽柴兄弟が抵抗して、同じく戦争が終結するのでも、できるかぎり人命が救われる道が選ばれた、という描き方だった。信長父子の残酷さにくらべると、羽柴兄弟は大いにヒューマニストである。戦国時代であり、天下一統の過程だから戦争は避けられないにしても、無駄な犠牲は極力避けるのが羽柴兄弟のやり方であり、願いなのだ――。

ドラマでそうハッキリ説明されたわけではないが、明らかにそういう展開だった。だが、結論を先にいえば、筆者には史料等で確認できるかぎり、信長より羽柴兄弟のほうが、よほど残酷だったように思えるのである。