「風、薫る」で描かれる母娘の物語
ドラマの直美とセツのエピソードも、慈恵病院の「ゆりかご」へ赤ちゃんを預ける母親たちの実態も、同じ一つのことを語りかけている。やむにやまれぬ事情で、自分の子どもを育てられない母親たちがいるということだ。
世間から見れば、そして子どもからすれば、それは無責任な母親ということになるのかもしれない。直美自身も長いあいだ、自分を捨てた母親を恨んできた。しかし、慈恵病院の「ゆりかご」にやってくる母親たちの実態は、そうしたイメージとは大きく異なる。出産直後の体で、命懸けで赤ちゃんを抱いてやってくる彼女たちは、決して子を見捨てたのではない。せめて安全な場所で生きてほしいと願った末に、わが子を託しているのだ。
直美の母親が娘を教会に預けたことと、いまを生きる母親たちが遠い熊本の「ゆりかご」を頼ってやってくることは、百数十年の時を隔てても、その根にあるものは変わらない。明治を舞台にしたフィクションとして描かれた物語は、現在にも通じている。
ドラマで直美が、セツの言葉によって母親の愛情を悟ったように、私たちもまた、「捨てる」という行為の奥にある、祈りにも似た思いに目を向ける必要があるのではないだろうか。
果たして、直美はいつか母親と巡り合えるのだろうか。そして自身も、母親となるのだろうか。もう一人の主人公りんと、娘の環との関係も、この先どう描かれていくのか。「風、薫る」は、トレインドナースたちの物語であると同時に、幾組もの母と娘の物語でもある。明治を生きる彼女たちの姿に、いまを生きる母と子の姿を重ねずにはいられない。


