浮気した夫より、怒った妻が悪者に

徳川歴代将軍の生母・側室の略伝である『以貴小伝いきしょうでん』にも、築山殿が嫉妬のあまり家康の側室を折檻したという逸話も載っている。

あるとき家康が築山殿の侍女に手をつけ、妊娠させた。この当時、側室や妾は正室が認めた女性に限られていたが、家康は築山殿の承認なしに子を設けてしまったため、築山殿は女を裸にし、木に縛りつけ、鞭で打った。あげく女を追放し、生まれた男児も徳川の子として認知しなかったという。

以貴小伝
画像=国立公文書館所蔵
築山殿が家康の側室を折檻したことを記載する『以貴小伝』。「御嫡妻関口氏」(枠で囲んだ箇所)と記されているのが築山殿。築山殿は今川義元の親族・関口氏の出身だった。

この女が於古茶おこちゃ(のちのお万の方)である。子は他家で育てられ、やがて福井藩初代藩主・結城秀康となる。

しかし於古茶が徳川の妻として認められなかったのは、正室の了承なしに子をもうけた家康の勇み足が原因であり、築山殿が責められる理由は乏しい。だが江戸時代に入ると、嫉妬した築山殿が非道極まりない行為に及んだという話に、すり替わってしまったのである。

『武徳編年集成』『以貴小伝』は共に18世紀頃の成立だ。ずっと後の時代に、たいした証拠もなく話を盛ってしまった可能性も考えられる。それにもかかわらず、両書は築山殿=毒婦というイメージの定着にひと役買い、今でもこれだけを論拠に残酷な女と見る人は少なくない。

「瀬名」が400年分のイメージを変えた

このように誇張された悪女イメージが和らいだのは、平成も終わりの頃からだろう。同29(2017年)の大河ドラマ『おんな城主 直虎』と、令和5(2023)年の『どうする家康』の両作は築山殿を「瀬名せな」という役名で登場させた。これは『武徳編年集成』に、築山殿を「或いは瀬名とも称す」と記されていることによる。

演じたのは前者では菜々緒、後者では有村架純。特に有村の親しみやすく、透明感のある瀬名は毒婦とは正反対だった。息子の信康と共に武田に和平を働きかけ、「戦のない世」を作り上げようとする糟糠の妻であり、だが、その動きが信長に誤解され、家康は織田を取るか、妻子を取るかの二者択一を迫られる。結果的に、徳川の存続のため瀬名と信康を捨てざるを得なくなるというストーリーだった。

こうして築山殿は悲劇の女性・瀬名という新しい人物像を手に入れ、今ではそのイメージも定着しつつある。

ただし、家康が関与して自害に追い込まれたのは事実で、そこにはやはり夫婦間に何らかの問題があったと見てよいだろう。そのあたりを探ると、長年にわたる別居が原因で、信頼関係が冷え切っていた様子がうかがえる。