建設費はついに「月探査計画」超え

そもそも、HS2の車両そのものは、日本の技術と無縁ではない。HS2の公式発表にも記載の通り、54編成の高速車両を日立製作所とフランスのアルストム(Alstom)が折半で出資する共同事業体(ジョイントベンチャー)が設計・製造し、日本の新幹線と欧州高速鉄道の最新技術をベースにしている。

車両自体は、むしろ新幹線の系譜を引く堅実な設計だ。HS2の信号・列車制御は、欧州標準のETCS(European Train Control System)のレベル2を採用する。コストが膨れ上がったのは、これら以外の問題。すなわち、路線の土木工事や許認可、地域対応といった、車両や制御システムの周辺対応コストである。加えて、イギリス政府として世界最速を狙った過大な速度目標も災いした。

HS2の見積総額は、ついにNASAの「アルテミス」計画を上回る規模に達した。

2026年4月1日、NASAケネディ宇宙センターからアルテミスII号試験飛行に向けて打ち上げられたロケットと宇宙船オリオン
2026年4月1日、NASAケネディ宇宙センターからアルテミスII号試験飛行に向けて打ち上げられたロケットと宇宙船オリオン(写真=NASA Kennedy Space Center/NASA/John Kraus/PD NASA/Wikimedia Commons

アルテミスといえば、半世紀ぶりの月への有人着陸などを目指す一連のプログラムだ。最新のアルテミスIIミッションでは今年4月、宇宙飛行士4人を乗せた宇宙船が米ケネディー宇宙センターから打ち上げられ、月を周回して無事地球に帰還した。

NASA監察総監室(OIG)の2021年時点での試算によれば、アルテミス計画全体を通じ、2012〜2025年会計年度までで約930億ドル(約14兆9000億円=約695億ポンド。6月10日時点のレート1ドル=160.41円で換算、以下同)が投じられる見込みとされている。

これに対してHS2の事業費の現在の見通しは、前掲の通り最小で877億〜1027億ポンド(約18兆8000億〜22兆円)。イギリス国民の期待が膨らむ一方で、予算規模は宇宙開発計画並みに膨張している。

宇宙に行ける金額で英国外にも出られない

地上を走るたった1本の鉄道を建設するだけで、人類を再び月へ運ぼうという宇宙計画さえ超過してしまったHS2。宇宙に行けるほどの金額を費やしながら、その行動範囲は飛行機よりも狭く、イギリス国外へ出ることすらできないという皮肉な状況だ。

費用が膨張した原因の内訳についてGOV.UKは、大半が人為的な不手際によるものだと認めている。

増加分の3分の2は、当初計画で必須工事の計上漏れがあったこと、見積もりの甘さ、非効率な計画運用という3点によるもの。インフレに起因するものは、残る3分の1に過ぎないという。

当初予算との乖離も甚だしい。

英地方紙のコベントリー・テレグラフが振り返るところでは、ロンドン―バーミンガム間に加え、のちに白紙撤回されたマンチェスターへの北部延伸、そしてバーミンガムから北へ延びるリーズへの長大な支線まで含めた当初予算は、2011年価格で327億ポンド(約7兆200億円)だった。

北部区間の取りやめなどにより、距離ベースでは建設区間の約58%が消えた。にもかかわらず、残された区間に投じる費用だけで当初計画全体の3倍前後に達した計算だ。

そもそもイギリスは、当初の構想を実現することは技術面で困難であった。

GOV.UKによれば、時速360キロで列車を試走させられる線路はイギリス国内に存在せず、コストと工期の膨張につながったという。また、同サイトのHS2議会向け6カ月次報告(2026年5月)は、速度引き下げによる主な節約効果として「世界のどこでも運行されていない速度での認証に伴うリスクの回避」を挙げている。