証拠は何ひとつない保護工事
野生生物の保護はたしかに、開発計画にあたり検討されるべき重要な観点である。ただし、トンプソン氏は、高速列車がこの保護種に害を及ぼす「証拠は何ひとつない」とも明かしている。
当初は地下トンネル化や迂回ルートといった、さらに高額な選択肢が議会で検討されていた。最終的に選ばれたのが、この小屋案であった。
それでも地元のバッキンガムシャー議会は工事を頑として承認しなかった。HS2リミテッドは弁護士や環境の専門家への報酬として数十万ポンドを費やし、「最終的には、バッキンガムシャー議会の頭越しに掛け合うかたちで建築許可を勝ち取った」とトンプソン氏は振り返る。
このような入り組んだ駆け引きが必要となるケースは、コウモリ関連にとどまらない。同紙によればHS2の建設にあたり、HS2リミテッドが計画・交通・環境に関する各公的機関から同意を得る必要のあった件数は、実に8276件にのぼる。
コウモリへの配慮をめぐり地元と揉めた長さ約1キロの小屋は、その一例に過ぎない。
日本の高品質とは違う「制度設計の過剰」
このようにHS2は、複数の過剰品質の問題を抱えている。
もちろん、技術上の過剰品質だけを見るならば、日本の新幹線もひとごとではない。日本国内で好まれる高い技術仕様に合わせて設計した結果、途上国への輸出ではしばしば苦戦すると指摘されてきた。
現地で実際に求められる水準に対して、規格が緻密過ぎるというわけだ。緻密さは導入費用の高さにもつながり、相手国の事情とかみ合わないことがある。
ところが、HS2の苦境はそれとは異質だ。最高速度の引き下げに象徴されるように、設計性能はむしろ抑制された状態にある。それでも事業費が膨れ上がったのは、イギリスが環境規制・許認可・地域政治といった制度面での複雑な課題を抱え込んでいるからだ。
こうした見立てを裏づけるかのように、外部からの評価も手厳しい。英デジタルニュースメディアのインディペンデント紙によれば、HS2のトップ自身がロンドンの鉄道産業協会年次会議で、一連の騒動はイギリスが大型インフラを完遂できないという「本物の問題」を抱える一例だと語ったという。
閣僚でさえ、予算超過の規模を管理しきれない。そんな惨状を受けて、元首相府の運輸顧問はHS2を、「最初から失敗が運命づけられていた」と断言した。
シンクタンクのポリシー・エクスチェンジで運輸部門責任者を務めるアンドリュー・ギリガン氏に至っては、「イギリスにおける近代史上最悪のインフラ計画」であると言及。西ミッドランズ以外の区間は、いっそ「墓に埋めたままにしておけ」(放棄してしまえ)と、容赦のない見方を示している。

