秀吉は付城や軍用路を整備

規格外なのは規模だけではない。「太閤道」と呼ばれる整備された軍用路、畝状竪堀群や各尾根の堀切など、極めて精緻な防御構造が随所に見られる。そのおかげか、1578(天正6)年10月22日には別所軍が来襲するも返り討ちにしている。

太閤道。尾根を平坦に固めてある
撮影=今泉慎一(風来堂)
太閤道。尾根を平坦に固めてある
斜面の畝城竪堀群
撮影=今泉慎一(風来堂)
斜面の畝状竪堀群

なお、別所軍来襲から1週間ほど前の10月15日には、茶人・津田つだ宗及そうぎゅうを招いて、城内で茶会も開催されている。これは秀吉史上、初めての茶会だったという。

先に挙げた荒木村重の離反もこの月。1578(天正6)年10月は、戦況が大きく動いた月だといえる。終結はそれから1年以上もかかってしまうのだが……。