「祖国への裏切り」なのか

ここで面白いのは、国籍を爆買いしている富裕層が、決して自分の国籍(たとえばアメリカ)を見限ったわけではないという点だ。むしろアメリカ資本主義の恩恵を最大限に享受し、その価値を知り抜いた人々ほど、「これからの時代、アメリカのパスポート一枚だけではシナリオ管理ができなくなる」と冷静に理解し始めている。

絶対王者が完全に衰えたというより、世界情勢が複雑になりすぎて、王者のパスポートであってもカバーできない死角が生まれつつあるのだ。パンデミック時の国境封鎖、国内の深刻な政治的分断、急激な税制変更のリスク。これらに直面したとき、いくら銀行口座に数十億円があろうと、移動の自由が制限されればその価値は半減してしまう。

ここで、われわれは少しだけ立ち止まって考えるべきかもしれない。お金で国籍を買うという行為に、どこか下品な匂いや倫理的な抵抗感を感じる人は少なくないだろう。「愛国心はどうした」「共同体への忠誠はどこへ行った」「国家をホテルのように選ぶな」――その感情はよくわかる。

だが、皮肉なのは、そういう道徳的な言葉がいちばん強く効いたのは、国家が個人の未来をある程度約束してくれた「古き良き時代」だけだったということだ。「教育を受ければ階層を上がれる」「真面目に働けば必ず報われる」「税を納めれば老後まで守られる」。そうした国家の物語が揺らいだ現代において、人は「よき国民」である前に「自らの家族の有能な管理者(マネージャー)」にならざるを得ない。

富裕層が第二国籍に走るのは、祖国への裏切りなどではない。国家が提供する「安心」が市場化され、相対化されたことに対する、最も率直で合理的な適応行動なのである。

複数の国のパスポート
写真=iStock.com/Jason_Lee_Hughes
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単なる“移住切符”ではない

ただし、ここで真に注目すべきなのは、節税効果や退避ルートの確保といった即物的なメリットだけではない。もっと深いところにある、「自分はどんな人生を生きる人間なのか」という自己定義を書き換える力である。

第二国籍の取得とは、法的なステータスの追加であると同時に、自分の人生の「自己叙述(ナラティブ)の編集権」を獲得することに他ならない。

「私はこの国にしか属せない人間ではない」「私は世界のどこにいても生きていける人間だ」「子どもには複数の国の教育回路を提供できる」「老後には複数の着地点がある」「危機のときには複数の出口がある」。こうした複数形の人生設計(マルチプル・オプション)を手に入れることは、そのまま「自分の物語」の書き方を根本から変える。

人は自由の翼を手に入れても、必ずしもすぐに遠くへ飛び立つわけではない。だが、「いつでも遠くへ行ける」と知った瞬間に、現在地の意味が劇的に変わる。嫌なことがあっても「ここしかないから我慢する」のではなく、「いざとなれば別の場所へ行けるが、あえていまはここを選ぶ」という主体的な決断に変わる。第二国籍とは、すぐに移住するための切符というより、いまいる場所で“追い詰められない自分”でいるための、強靭なメンタルコントロールの装置なのだ。

だからこそ、富裕層にとって国籍を買うことは、単なる資産防衛やビザなし渡航の拡張を超えた意味を持つ。少し文学的に言えば、それは「人生の単線化」に対する強烈な抵抗である。ひとつの会社に定年まで勤め上げ、ひとつの街にマイホームを持ち、ひとつの国家に人生のすべてを預ける――そういう20世紀的な一本線の物語は、たしかに美しかった。しかし21世紀を生き抜く富裕層は、その「美しさ」が、しばしば「脆さ」と同義であることを骨の髄まで知っている。

一本の太い線は、どこかがプツンと切れればすべてが終わる。しかし複数の細い線を持っていれば、何度でも結び直せる。彼らが数千万円、数億円を払って買っているのは、国籍そのものというより、人生の「編集可能性」であり、「再起動可能性」であり、何度でも人生の続編を描くことを許すライセンスなのである。

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