海外に移住する富裕層が急増している
では、彼らは何に怯え、いくら払って国籍を買っているのか。
答えは案外、陰謀めいてはいない。富裕層が第二、第三、第四の市民権(Citizenship by Investment = CBI)を集めている理由は、国内の政情不安や国際的な不確実性へのヘッジであり、いわば「パスポート・ポートフォリオ」の構築である。
富裕層の移住支援を手がける英コンサルティング会社、ヘンリー&パートナーズが発表したデータや予測によれば、国境を越えて移住するミリオネア(100万ドル以上の投資可能資産を持つ富裕層)の数は、2013年の5万1000人から、2024年には12万8000人規模へと急増し、2025年から2026年にかけてもこの高水準のトレンドが継続している。
とくに驚くべきは、海外市民権を求めるアメリカの富裕層の問い合わせが近年爆発的に増加しており、ヘンリー&パートナーズへの申請においてアメリカ人が占める割合は2024年に全体の約23%に達し、2025年にはさらに30%超に拡大している。同社では、アメリカ人クライアント数が2位以下の4カ国籍合計に匹敵するという。
マルタが塞がり、主戦場はポルトガル、トルコへ
具体的な金額を見てみよう。
カリブ海の島国(アンティグア・バーブーダ、ドミニカ国、グレナダなど)は、長らく10万ドル台からの「格安」で市民権を販売してきたが、国際的な圧力もあり、近年は最低投資額を約20万ドル〜23万5000ドル(約3500万円強)へと引き上げている。
一方で、富裕層にとっての“最高峰”は常にヨーロッパだった。特にEU圏内への自由なアクセスという圧倒的な特権を持つマルタの市民権プログラムは、総額約100万ユーロ(約1億6000万円)以上を積める超富裕層に大人気だった。しかし、欧州司法裁判所がこの「ゴールデンパスポート」をEU法違反とする判決を下し、実質的にこのルートは塞がれてしまった。
冒頭で述べた「水枯れへの恐怖」とはまさにこれだ。国家が提供する究極のプレミアムチケットは、いつでも買えるわけではない。マルタの蛇口が止められたことで、世界のミリオネアたちは今、強烈なFOMO(取り残される恐怖)に駆られている。
その結果、現在の主戦場は「代替ルート」へと激しくシフトしている。
約50万ユーロ(約8000万円)のファンド投資で居住権を得て、10年後のEUパスポート取得を狙うポルトガルの「ゴールデンビザ」や、約40万ドル(約6000万円)の不動産購入で直接国籍が買え、アメリカ移住への足がかり(E-2ビザ)にもなるトルコに、莫大なマネーが雪崩れ込んでいるのだ。
富裕層は、単に景色がきれいだから彼らの国籍や居住権を買うわけではない。
100カ国以上へのビザなし渡航、欧州全体へのビジネスアクセス、子どもの教育の選択肢、老後の穏やかな生活、そして何より「何かあった時にいつでも脱出できる」という退路の確保である。
数億円の資産を持つ者にとって、1億円を投じて手に入れる第二国籍は、決して無駄な贅沢品ではない。自らの命と財産を守るための、最も確実な「非常口(エグジット)」なのだ。

