巨額赤字なのに報酬は8億円

ストリンガーにとって目の上のたんこぶだった中鉢を脇に追いやり、代わって彼が「四銃士」と称して引き立てたのは、平井をはじめ、鈴木国正、吉岡浩、石田佳久だった。それにストリンガーの秘書のような仕事をしてきた神戸かんべ司郎や、エレクトロニクス部門のリストラ役に起用された中川裕が加わった。

彼らはストリンガーの取り巻きだった。ストリンガーはみんなで酒を飲んでワイワイやるのが好きで、もめ事やいざこざを嫌った。だから彼に耳の痛いことを言う人はいなくなった。リストラを進める半面、役得が大好きだった。ストリンガーは東京・恵比寿のウエスティンホテルのスイートを長期間借りっぱなしにしていたし、しょっちゅう開く盛大なパーティーは、もちろん会社持ちだった。平井は家族を米国に残し、東京への出社は出張扱いだった。

ソニーは2008年度に純損益が赤字転落すると、ストリンガーが会長兼社長兼CEOを辞める2011年度まで4年連続で巨額赤字を計上し続けている。それにもかかわらず、ストリンガーはストックオプションも加えると2009年、2010年度には各8億円余りの報酬を享受し、4500億円もの赤字だった2011年度も4億5000万円もの報酬だった。それは平井も同じだった。ソニーの業績がどんなに悪化し、どれだけ多額の赤字を計上したとしても、彼は1億円をはるかに上回る報酬を手にし続けた。ソニー上層部の貴族化はとどまることを知らなかった。

ビンテージのソニーウォークマンを持つ手
写真=iStock.com/Soeren Schulz
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OBからの猛反発

エンタメ出身のストリンガーはテクノロジーの進歩に明るくなく、国内市場ではシャープやパナソニックに押され、海外市場では韓国サムスンやLG、さらに台湾や中国のメーカーにソニー製品は駆逐されていった。ストリンガーから製造の外部委託を進めることを指示された中川は手はじめに、欧州の拠点としてスロバキアに造ったばかりの液晶テレビの新鋭工場を鴻海にたたき売った。ドイツから東欧に生産拠点を移すとともに最新鋭の生産設備を導入したのに、完成してわずか3年で「テレビは儲からないから」と売却である。中川は社内やOBから「工場を閉めることしか能がない」と言われるようになった。

ソニーで「ウォークマン」やCDの開発などにあたってきた元副社長の大曽根幸三は、ストリンガーが中鉢を追いやって「会長兼社長兼CEO」に就任したことに我慢がならなかった。「ソニーよ“普通の会社”にまで堕ちてどうする」と題した長文の告発レポートを作成し、同憂のOBに配布した。それによると、「ソニーの主体は製造業で、売り上げの7割がエレクトロニクス関連機器のハードメーカー」だが、ストリンガーに「『ハード戦略をこう進める』という肝心の旗印が見えない」と難じている。

「ソニーをけなそうと思って書いたんじゃないんだ」。大曽根は意図をそう語った。「社内に残る中堅のマネジャークラスに、ソニー本来の姿を取り戻して欲しいという切なる願いですよ」。この頃からストリンガー降ろしの動きがOBの間で広まっていく。中心にいたのは大賀(典雄、元ソニー名誉会長)だった。