「お前はニューヨークに帰れ」

大賀のもとには歴代の幹部が「このままでいいんですか」と愚痴をこぼしに来ていた。大賀の腹案は久夛良木(健)の起用だった。「大賀さんはハワードを切った後のことを明言はしなかったけれど、明らかに久夛良木を呼び戻そうとしていた」。そう大根田は推測していた。

大鹿靖明『半導体 尖端覇権の興亡』(講談社)
大鹿靖明『半導体 尖端覇権の興亡』(講談社)

大賀は意を決し、ストリンガーに「お前はニューヨークに帰れ」「エレクトロニクスがわからんだろう」などと何度も退任するよう伝えたが、ストリンガーはそのたびに「あなたは何の権限があって私に辞めろというんですか」と切り返した。ただの相談役の大賀には確かに経営トップを引きずり下ろす権限はなかった。

代わって社外取締役で取締役会議長を務める元富士ゼロックス会長の小林陽太郎にストリンガー降ろしへの協力を働きかけたが、小林はストリンガーを好ましく思っていて、動く気がない。財界活動で一緒だった大賀は何度も小林に直談判した。しかし小林は「ソニー議長」という肩書が気に入り、争いごとを起こそうとしない。「陽太郎がこんな男とは思わなかった」。大賀はそう嘆いた。2009年秋のことだった。

旧本社の解体に涙を流した

大賀の執務室は、ソニーの栄光の時代にできた御殿山の旧本社ビル(NSビル)にあった。ストリンガーが御殿山のソニーのビル群を売却し、JR品川駅前に移転を決めた後も、大賀はNSビルに残った。「ハワードが『出て行け』と言っても大賀さんは出て行かなかった。

思い出の品がいっぱいあふれていて、大賀さんは自分の部屋から出て行くのを嫌がった」。側に仕えた大木充は回想する。NSビルを囲むように立ち並んだソニーのビル群の解体工事が始まると、窓のブラインドを開けて、その作業を眺めて泣き出した。

あの大賀が泣いていた。

ソニーの準創業者とも言える大賀は2011年4月に死去した。

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