社長は「プライドの高いエンジニア」
中鉢は宮城県出身で東北大を卒業後、ソニーに入社したものの、カセットテープや電池などを所管する仙台の工場に勤務する時代が長かった。「仙台の伊達政宗がいきなりホワイトハウスに来たような感じでした」。中鉢側近の社長室長はそう観察した。
仙台ではすべてのことを掌握しきれていたが、ソニー本社に乗り込むと、ゲームも金融もエンタメもわからない。エレクトロニクス部門を所管しているのに、デバイスの世界を中心に歩んできたから、テレビやビデオ、オーディオといった消費者相手の家電ビジネスに自信がなかった。「プライドの高い人だから、馬鹿にされたり不用意なことを言ったりするのが嫌なんです。そうなると黙ってしまって、コミュニケーションもとりにくくなっていきました」(社長室長)
中鉢は器量不足だった。「目の付けどころがいつも重箱の隅なんです」。CFOを務めた大根田はそう言って困惑していた。「とてもちっちゃいことで真っ赤になって怒るんです。こんなんじゃ、構造改革や成長戦略を語れないなと思いました(*9)」。ストリンガーはそんな中鉢に辟易としていた。彼を外して自らが社長も兼務し、エレクトロニクス部門も手中に収めようと考え、その意を体して藤田が中鉢を「副会長」に祭り上げようと動いた。
半月しか日本にいない会長兼社長兼CEO
プライドの高いエンジニア出身の中鉢に、実権のない中二階の「副会長」というポスト就任を打診すれば、「オレをバカにするのか」と怒り出して辞職するかもしれないと思われた。当の藤田が「中鉢さんはこんなことに耐えられる人ではありません」と事前に大根田に説明していた。だが、中鉢はあっさりその申し出を受け入れた。ストリンガーはかくして2009年、会長兼社長兼CEOになり、ソニーの全権を完全に掌握した。
ストリンガーはその就任記者会見で「もう一つのレイヤーを置くのではなく、CEOが直接あらゆる分野を掌握する」「なぜ社長というもう一つの層を設ける必要があるのでしょう。もう一つ別の官僚機構を設ける必要はありません」という言い回しで、中鉢を副会長に据える理由を説明した。中鉢はそれを受け入れて「経営体質の強化の道筋がついた」うえ、「新しい成長戦略を作るに当たって、若い世代中心に作るのが最善だろうと考えた」と、あっさり降板を容認した。
これで「これからは月に2週間は東京にいるようにします」と、半月間しか日本の本社に滞在しないことを公言する外国人がソニーを完全に支配することになった。権力闘争のあっけない幕切れについて、元副社長の伊庭保は「中鉢みたいな、あんなお気楽で、幸せな社長はなかなかいないな」と嘆息した。

