日本銀行の金融政策の犠牲者

会社更生法の適用に追い込まれたエルピーダメモリ同様、シャープは日本のマクロ経済政策の失敗、特に日本銀行の金融政策の犠牲者だった。菅義偉官房長官もこの頃、財務省の官僚を呼んでウォン安是正の為替介入をできないか検討させていた。

日銀
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「韓国にやられている。4割も価格が違うから、ウォンを買うところまでやらないと、日本の電機メーカーは価格で勝負できない」と言っていた。

結局、アベノミクスの金融緩和で為替が円安方向に進み、輸出企業はあまねくそれを享受する。「シャープという特定の企業を救済しないで済んだ」と、ウォンへの介入は沙汰やみになった。

急速に経営が傾くなか、町田が頼ったのは、シャープのパソコンなどの組み立て製造を受託していた鴻海のテリー・ゴウだった。町田は2011年6月、片山を連れて香港でテリーらと会談し、「鴻海さんの力を借り、当社のコスト競争力を回復させたい」と提携を申し入れた。もはや単独での生き残りは困難と判断し、①原材料の共同調達、②液晶テレビの共同開発と鴻海への製造委託について合意している。

もうテリーしかおらへん

しかし、この合意は結局、帰国した町田が社内を説得しきれなかったようで、シャープ側によって反故にされてしまう。経営危機に瀕したシャープは、メーンバンクのみずほ、三菱UFJ二行が債権保全のために経営に介入するとともに、社内では片山とその取り巻きの液晶閥への不満が噴出し、上層部の確執が表面化していった。

同年末、再び町田が鴻海側に打診してきたのは提携範囲を限定したものだった。今度は、お荷物となりつつあった堺工場(シャープディスプレイプロダクト)に出資してほしいというお願いだった。

シャープディスプレイプロダクトの社長に就いた佐治寛は「町田さんが『この男しかおらへん』と言ってテリーを連れてきたんや。テリーは意思決定が速いし、経営感覚が鋭い。うちはあんなに組み立てのコストを下げられへん」と言った。財務担当の専務や副社長だった佐治は、堺工場の再建を託されていた。