「悪意なき拡散」を生む張本人
同調査では、家族や友人、知人など身近な人からの情報は、新聞やテレビといった既存メディアと同程度に信頼されていた。
人は「近しい誰か」の声に耳を傾けやすい。専門家でも記者でもない、多くコミュニケーションをしている人の言葉に強い説得力が宿ってしまうのである。
この現象は「悪意なき拡散」を生む。本人は何の疑いもなく良かれと思って情報を伝えている。だが、もしその情報が誤りであれば、結果的にフェイク情報の伝播に加担することになる。
善意であれ無自覚であれ、その影響力は小さくない。むしろ親しい人同士のやり取りだからこそ、受け手は疑わずに受け入れてしまう。
考えてみれば、私たちの日常は会話の積み重ねでできている。通勤電車での雑談、職場の休憩室でのひと言、地域の集まりや学校での親同士の会話。そうした場にフェイク情報が紛れ込むと、あっという間に「みんなが知っている話」に変わってしまう。
社会の“誤解”を形づくる温床とは
しかも会話によって伝えられた情報は、SNS上の文字よりも「生きた体験」として心に残りやすい。信頼の回路を通って浸透するからこそ厄介なのである。
現代は、インターネットだけでなくオフラインの場を介してもフェイク情報が増幅される時代だ。ネットと現実を往復することで、噂はより強固になり、訂正はますます追いつかなくなる。
つまりフェイク情報の拡散源は「無数のシェアマーク」だけでなく、「私たち自身の口」でもある。
この現実を直視するとき、問題は単なるSNSの機能にとどまらないことが分かる。
私たちが信じ、語り合うその場その場が、フェイクの温床にもなり得るのだ。食卓から広がる一言が、やがて社会全体の誤解を形づくる――そこに現代の情報環境の恐ろしさが凝縮されているのである。



