写真や動画の「らしさ」の強度
さらに、「らしさ」の力である。ニュースサイト風のレイアウト、専門家を思わせる肩書、統計らしき数字やグラフ。こうした体裁が整っているだけで、人は内容の真偽を疑わなくなる。
特に写真や動画は強力で、過去の災害映像が「最新の被害」として拡散されたとき、多くの人が疑いなく受け入れてしまった。映像の持つ「証拠らしさ」は、論理よりも直感で信じ込ませる。
私たちは誰もが、社会的な支持の雰囲気や拡散のスピード、権威を装う表現といった要因によって、事実と虚偽を取り違えてしまう危険にさらされている。研究で明らかになった「15%しか見抜けなかった」という数字は、それを雄弁に物語っている。
フェイク情報は、気づかぬうちに私たちの思考を侵食する。日々SNSを眺めているだけで、知らず知らずのうちに真実と嘘の境界が曖昧になり、気がつけば誤情報を前提に話をしていることすらあるのだ。
だからこそ、フェイク情報は一部の人ではなく「多くの人」が騙される現実の問題として、社会全体で向き合うべき課題なのである。
最も多かったフェイクの拡散手段と相手
フェイク情報はどのように広がっていくのだろうか。SNSの拡散機能のせいだと考える人は多い。確かにそれも大きいが、実際に調査してみると、拡散の経路はそれだけではなかった。
私の研究では、フェイク情報を目にした後で「誰かに広めた」と答えた人は全体の6人に1人程度にのぼった。その中で、最も多かった拡散の手段は何か。意外にも、それは日常の会話だったのである(図表3)。
拡散者の約半分は、家族や友人、知人との直接のやり取りを通じてフェイク情報を伝えていた。
たとえば夕食の食卓で「今日こんなニュースを見たよ」と話題にする。聞いた家族はさらに職場や学校で友人に伝える。そこで広まった噂がSNSで再生産されて拡散していく。フェイク情報はネット空間に閉じているのではなく、現実の生活の場と往復しながら広がり続けるのだ。
ここで重要なのは、人々が「誰の言葉を最も信じるか」という点である。

