失政→粛清→孤立→自滅の一本道

もうひとりの先例とは、明朝のラストエンペラー・崇禎帝(すうていてい)である。

崇禎帝は1627年即位の第17代皇帝。彼は在位中、将軍たちを次々と処罰していった。財政難を訴える文官も遠ざけた。

1644年、農民反乱軍を率いる李自成(り・じせい)が北京へ迫る。弱体化した軍では、十分な抵抗体制を築くことができない。首都は陥落し、彼は宮殿の裏手にある景山でえんじゅの木に縄をかけて自ら命を絶ち、明朝は滅びた。

自らの失政で窮地に陥り、疑心暗鬼から周りがみんな政敵に見えてくる。腐敗を正す名目で、側近たちをも次々と粛清する。ますます孤立して、暴走が止まらなくなり、最後は破滅する。中国の皇帝が歩むひとつのパターンだといえる。

明朝のラストエンペラー・崇禎帝
明朝のラストエンペラー・崇禎帝(写真=ハーバード大学/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

崇禎帝が自害した場所

私だけでなく、習近平氏と崇禎帝の類似を指摘する研究者は中国にもいる。人間のタイプが似ているというより、歴史の構図として重なる部分があるのだ。

崇禎帝が自害した景山は中南海の北側、故宮のすぐ裏に位置している。現在は景山公園があり、「崇禎皇帝自縊処」として槐の木がある。崇禎帝が自害した当時の木ではなく、1996年に移植されたもの。斜めに傾いた太い幹が特徴的だ。

習近平氏は写真や映像で見ると、いつも首が傾いている。中国のネット空間では、「斜めの首」は検索すると危険なワードとして知られている。関連して、景山公園の「斜めの木」まで危ないと警戒されている。習近平の首にこじつけたという意味だけでなく、皇帝自害の強調が最近はよろしくないというのだ。

権力の絶頂に立つ人物ほど、失脚の歴史に敏感になる。とりわけ中南海の近くに、皇帝自害の歴史が残っているのだからなおさらだ。習近平氏が日々執務する場所から目と鼻の先。彼が崇禎帝の末路に自らを重ね、過剰に防衛本能を働かせてもおかしくない。