ゲームは生まれた瞬間に始まっている
この本、その名も『人生というクソゲーを変えるための仏教』(ネルケ無方・著/春秋社)。クソゲーという言葉に「ケシカラン」と目を剥くことなかれ。ドイツでキリスト教の牧師の家系に生まれた著者・ネルケ無方氏は、人生を「一方的に競争させられる理不尽なクソゲー」と思いながら育ち、16歳で出会った座禅に魅入られて日本へ流れ着く。
兵庫の安泰寺(曹洞宗)にて出家得度し、のちに18年間住職を務めたというから、地元では間違いなく名物住職だったろう。現在は、大阪を拠点に座禅を広める活動をしているという。
初期仏教、大乗仏教そして親鸞道元への流れを、「仏教とは人生というクソゲーを降りる、脱出ゲーム」との観点から、自ら「理屈っぽい」というドイツ人著者らしく論理的かつ現代的に解説していく、いわば「逆輸入」仏教入門だ。
人生は理不尽なクソゲーである、との前提に、まず疑問の湧く読者もいるのかもしれない。人生はクソゲーなんかじゃないよ、と言える人は幸いだ。「人生とは一生懸命生きるということでしょう?」。そういう人ばかりだったらおそらく人類史に宗教は必要なかったのだ。
我々を見透かすように、著者は言う。「そのゲームは実は、物心がつく前にすでに始まっているのです」。
「弱肉強食」と題名のついた競争
自由意思を持った自由な個体、ゼロから描き始める人生、いわば「可能性オンリーの塊」としてこの世に生まれ落ちたはずの我々は、しかしながら、生まれながらの自然に戻った「野生のエルザ」なんかじゃない。
人間社会の中では集団に属する一個体として捉えられ、望むと望まざるとにかかわらず近しい存在たちの影響を受け、属性の似たような個体とどこか比較されながら育つ。
さあ、ルールは簡単。優秀たれ、出し抜け、成功せよ、そして生き残れ。洋の東西も、政治的イデオロギーも関係ない、資本主義でも共産主義でも結局はそれぞれに「弱肉強食」と題名のついた競争の始まりだ。
あなたの出生児の体重は、隣の赤ん坊よりも重かったか軽かったか? ミルクの飲みっぷりは将来を期待させる勢いを見せているか? 首が据わったり、立ち上がったり歩いたりは順調か?
そんな愛らしく無邪気な生育過程にすら、優劣がつき、順番がつき、「あの子はこういう子」と評価がついて、個人が形成されてくる。天上天下唯我独尊だなんて言い出さない(つまり、釈迦じゃない)普通の赤ん坊の人生は、他者評価を背負って滑り出す。万人に平等なゴール、すなわち肉体の死へと一直線に向かって。
でもそんな人生マラソンみたいなゲームに参加するって、そもそもワタシ同意署名しましたっけ?

