頑張らない生き方は許してもらえないのか
それが著者の言う、生まれたときにはすでに始まっている「理不尽なクソゲー」なのだ。子どもの数が多すぎて、幼少期から志望者を落とすための試験ばかりずっと受け続ける中で人格形成をし、競争が染みついた私自身にも「理不尽」の部分には大いに心当たりがある。
周りの、誠実に努力し続ける優れた人々を見回しても思う。なんでこんなふうに、「生きるとは頑張ること」なのだろうか。頑張らないという生き方は許してもらえないのだろうか。
東大生の親の平均年収は実は高い、なんて調査がたくさんあって、昨今の日本じゃ「親ガチャ」という、そもそも生まれ落ちる時に引き当てた親のスペックで子どもの可能性がはじめから限定されているとの言説も有力だ。
そして私は、子育てのいわゆる「遺伝か環境か」議論に照らしても、「親ガチャ」は一定の真理であると頷かざるを得ない。心身のレシピである遺伝子を直接的に提供するのも親、間接的に生育環境を提供するのも、結局親(がダメならその親を救済する周辺の大人たち)だからだ。
仏教は「新しいゲーム」である
それを言ってはおしまいよ、である。でも特に現代の若者たちはもう気づいてしまった。おかげで、「反出生主義」なんていうスタンスも生まれている。
息苦しい、生きづらい、生まれてこなければよかった。でも生まれてしまったからにはつらい競争には背を向けて、人生そのものに正面から参加すること、頑張ることを拒否する。社会にはろくに関わらず、子孫も残さず、家を守らず、したがって国を守らず、この惑星も守ろうとは考えない。
そこに、著者・ネルケ無方氏は「仏教という新しいゲーム」を提案する。不条理で生きづらい人生というゲームを降り、新しい枠組みを導入することで、やりがいのあるゲームに変える。でも「理屈っぽいドイツ人」のネルケ無方氏が考える仏教とは、ありがちなご利益ポイントを稼いで救いというゴールに到達するような民衆騙しまがいの宗教とは違うらしい。じゃあどんな仏教? それを解説するのがこの本だ。

