「お前がパン屋を継げ」

急に実家に呼び出されたと思ったら、父親からそう一言かけられた。家業に入ったはずの長男が夜逃げ同然でいなくなり、新しい後継者が必要になったからだった。

「(兄は)それまでずっと封建的な親子関係で抑えられてたからね。余計に反発して、家を出ちゃったんじゃないかなと思いますね。私も家業を継ぐのは嫌でしたよ。でも、昔は親の言うことが絶対だったからね……。しょうがない。やるしかない」

潤子さんが長女を出産したその日、北原さんはパン職人になる道を選んだ。

「こんなのパンじゃない」敬遠された販売当初

家業に入ると、「目で盗む」修行の日々が始まった。当時、パン作りはすべての工程が手作業で、7〜8人の職人がいた。だが、「みんな昔気質の職人さんだから、丁寧に教えてくれるわけではなかった」そうだ。

「1回か2回、塩の配合を間違えて、300個分のパンをダメにしちゃったことがありましたね。今でも製品ができるまでは心配ですよ。手抜きはできないし、いい加減にやったら完全にアウトだし」

店のパンは、生地を2回に分けて混ぜる「中種法」を採用している。しっとり・モチモチの食感を生み出すには、必要不可欠な工程だ。作った生地は、半日寝かせて発酵・熟成させる。発酵室の扉を閉めるときのお決まりは、2回柏手を打つこと。「いいパンができますように――」と、パンの神様にお願いしているそうだ。

30年選手のパン生地をこねる機械
筆者撮影
30年選手のパン生地をこねる機械

毎日毎日、ひたすらパンと向き合い続けていると、10年も経つ頃には一人前に仕事ができるようになった。ちょうどそのタイミングで先代が考案したのが、例の「ポテチパン」だ。

1975年(昭和50年)頃、追浜には海水浴場があり、夏場は大勢の行楽客で賑わっていた。当時、北原製パン所では海の家を出店しており、ラーメンと一緒に販売する商品の一つとして、ポテトチップスを挟んだパンを開発したのである。

「50年も前の話だけど、先代が考案した『ポテチパン』は、真夏でも、どこへ持って行っても、傷まなかった。野菜を挟まないから水分を吸わないし、翌日でも美味しい状態で食べられるからね」

だが、販売当初は「こんなのパンじゃない」と文句を言われたり、驚かれたりしたらしい。

40年経ってようやく人気が出始める

しかし、その後も基本のレシピを守りつつ、自家製マヨネーズの配合を変えるなど、試行錯誤を重ねていった。すると、2016年になって人気が出始めるように。きっかけは、横須賀スタジアムで行われる、横浜DeNAベイスターズ戦での出張販売だ。「ポテチパン」を持って行ったところ、瞬く間に評判となったのである。

「試合の間はずっと販売してますけど、いつも完売よ」と潤子さん。毎回約300個のパンを持って行くが、そのうち150個以上が「ポテチパン」だと言う。ちなみに、地元で開催されるイベント「よこすかフェスタ」では、200個も売れるそうだ。

改めて別日の9時台に伺うと、驚くほどたくさんのパンが並んでいた
筆者撮影
改めて別日の9時台に伺うと、驚くほどたくさんのパンが並んでいた

また、横須賀市内には「ポテチパン」を販売するパン店がほかに3店舗あり、テレビ番組で食べ比べ企画が放送されたことも影響した。「北原のポテチパンがおいしい」という評判が徐々に広がり、開発から40年かけて人気商品へと育っていったのである。