毎日120個が完売、10個以上まとめ買いする人も…
さて、この「ポテチパン」は、「一度食べるとやみつきになる」と口を揃えるファンが多い。1日120個作っているものの、早々に売り切れてしまうことが珍しくないようだ。取材のため、筆者が平日12時頃に伺ったところ、「あと3個で終わり」というギリギリのタイミングだった。名物商品ゆえ、地元・日産自動車硬式野球部の関係者が「差し入れに」と大量購入したり、一般のお客さんが10個以上購入することもあるらしい。
今にも売り切れそうな「ポテチパン」を急いで注文し、ほかのパンとともに会計を頼む。すると、「さっき11個買って行った人がいたよ」と北原さんの妻・潤子さんがそっと教えてくれた。
みながこぞって「ポテチパン」を買い求める理由は、その味付けにある。使っているのはカルビーの「ポテトチップス うすしお味」だが、2種類の粉マスタードをブレンドした自家製マヨネーズで和えてから、パンに挟んでいる。
「『なにこの味⁉』ってびっくりされるね。このマヨネーズは、北原の命ですよ」
実際に食べてみると、ポテトチップスの塩気と自家製マヨネーズのスパイシーさが合わさり、なんとも後引く味わいだった。
筆者が無心で「ポテチパン」を頬張る横で、「小泉進次郎さんだって、これ食べてるんだよ」とうれしそうに語る北原さん。聞けば、なんと今年で勤続60年。パン作りが好きで好きで仕方ないように思える柔和な微笑みだが、意外にも「パン屋になりたくてなったわけではない」という。
ロケットエンジニアを諦め、パン職人の道へ
北原製パン所は、北原さんの父・治夫さんが、銀座木村家で修業したのちに創業したお店だ。3人兄弟の次男として生まれた北原さんは、幼少期からロケットエンジニアを目指し、大学では応用化学を専攻。学生時代に熱心に取り組んだのは、漁業無線を使った気象観測だった。
「当時、山手の『港の見える丘公園』の近くに測候所(現・横浜地方気象台)があってね。昔は人工衛星がなかったから、漁業無線を使ってみんな(気象データを)通報するわけですよ。朝9時とか12時に定時速報というものがあって、風速とか風力とかを無線で聞きながら、天気図を書いたりしてましたね」
ときには売り子や配達要員として、パン店の手伝いをしたこともあった。けれど、「あんまりうちに帰りたくなかったから、いつも学校にいた」そうだ。
そのうち、すでに会社勤めをしていた一つ歳下の潤子さんと交際を始め、妊娠を機に学生結婚することに。当初は周囲に反対されたが、ダンプトラックの運転手や土木会社での肉体労働など、アルバイトをしながら生活を支えた。だが、1966年(昭和41年)に転機が訪れる。


