夕日を背景に楽しむ家族の影
写真=iStock.com/BassittART
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夫が亡くなるまでの間に何か兆候はなかったのか、とよく聞かれる。だが、正直に言って、そんなものは一つもなかった。あの日も、夫はいつも通り仕事に出かけ、そして二度と帰ってこなかった。

2023年3月7日、3人の子供たちを寝かしつけていた時のことだ。玄関のチャイムが鳴った。仕事に出ていたアランがようやく帰宅したのだと思ってドアを開けると、そこにはスコットランド警察の警官が立っていた。その瞬間、何か恐ろしいことが起きたのだと悟った。

アランとは2011年にクラブで出会った。2016年に結婚し、2人の息子と1人の娘を授かり、幸せな年月を重ねてきた。夫婦ともに歯科医として忙しく働きながら家庭との両立に励んでいたが、生活に変わったことはなかった。たしかに2人とも疲れてはいたが、育児中の親なら誰だって疲れているものではないだろうか。

アランは、これまで出会った誰とも違う魅力を持った人だった。個性的で、いつも笑っていた。周囲の人をリラックスさせる天性の才能があり、彼が部屋に入るだけでその場がぱっと明るくなった。

そんな彼が、内面でどれほど苦しんでいたのか、私はこれっぽっちも気づかなかった。

兆候は何もなかった。それこそが、受け入れがたい事実の一つだ。彼はいつも通りの彼に見えた。ある日まで隣にいた人が、次の日にはいなくなってしまったのだ。

アランが自ら命を絶ったと知った時、私と子供たちの人生は終わったと感じた。吐き気に襲われ、あまりのショックに打ちのめされた。

眠れず、食べることもできず、ただ「妻として失格だった」という思いが頭を駆け巡った。遺書もなければ、理由を示す手がかりもない。ただ一つ、彼がその決断を下す約1時間前、私に電話をかけようとしていたことが分かっている。私はその電話に出られなかった。その事実は一生背負っていかなければならない。

アランがもういないのだという現実をようやく理解し始めると、混乱はパニックへと変わった。子供たちはどうなってしまうのか。シングルマザーとして3人を育てていけるのか。私たちの未来はどうなるのか。経済的にはやっていけるのか。答えの出ない「もしも」が次々と浮かび、途方に暮れた。

夜、横になりながら「何かを見落としていたのではないか」と考え続け、眠れないことがよくあった。自死する数カ月前、数週間前、あるいは数日前の古い写真をスクロールしては、手がかりを探した。家族写真の一枚一枚を拡大し、彼の目や笑顔をじっくりと見つめ、何かヒントが得られないかとあがいた。

だが、やはり何もなかった。

やがて、写真を見ることさえ苦痛でたまらなくなった。かつての思い出に触れたくなかった。幸せな生活、家族、友人、3人の健やかな子供たち、安定した仕事。こんな現実が待ち受けているなんて、夢にも思わなかった。