「人生いろいろ」で多様性を認める
小泉純一郎元首相は、政治家としての評価は別として、印象深い名言をいくつも発しています。その1つが、35年前の厚生年金加入時に勤務実態があったかどうかについて、国会で追及されたときの、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」という答弁です。
当時は言い逃れだとして批判を浴びましたが、この発言は実際そのとおりです。まさに「人生いろいろ」で、みんながこうあるべきという決めつけは、知的にもメンタルヘルスのうえでも好ましいものではありません。
高齢者のすてきなところ、深みを感じさせる部分は、「人生いろいろ」が認められることです。歳をとると頑固になると思われがちですが、むしろ長く生きているほど、多様性を認められるようになっていくものだと思います。
将来的にはもしかしたら、若いころからずっとテレワークで働き、多様な人とふれあうことがほとんどないまま70歳や80歳になる人も出てきて、高齢者といえども「人生いろいろ」を知らないのが普通になるのかもしれません。
でも、いまの高齢者は違います。学校では優等生ではなく不まじめに見えた人が、意外に要領よく成功してずっと順調だったり、一時期すごく羽振りがよさそうだった人が転落していったりと、これまでにたくさんの「人生いろいろ」を見ています。
そのことによって、高い学歴を得れば成功するといった、世間の定説どおりには必ずしもならないことを知っています。
東大医学部出身で「頭がいい」は違和感
いまの政治家が小粒になっている理由の1つは、彼らの多くがきわめて狭い社会で生きてきたからです。小さいころから、裕福な家の子供ばかりが通う私立の大学附属校で学び、受験も経験せずに大学に入り、ほとんど社会でもまれることのないまま親の跡を継いで議員になった人が目立ちます。
当然、地元の公立学校でさまざまな家庭環境の子供と一緒に学び、受験勉強をして高校や大学に進学し、何年も会社勤めを経験してきたような人たちとは違います。必然的に考えることの幅が狭くなりがちで、理想主義的な国家観だけで突き進もうとするきらいがあります。
それも「人生いろいろ」の1つだとは思いますが、人間としての深みはあまり感じられません。私自身は、彼らのような生き方は選択できなかった人間なので、そのぶん、考え方の幅が広いことを強みにしたいという思いがあります。
人間は変われない、変わらないものだという思い込みを、多くの人がもっています。日本の学歴信仰のベースにあるのは、18歳時点での勝ち負けが一生続くという認識です。たとえば、私が、東大医学部を出ていることに対して、「頭がいいんですね」と言われることがあります。でも、それは、大学を受験した18歳時点で、ほかの受験生よりは勉強ができたにすぎないのです。
ですから、「頭がよかったんですね」と言われるならわかりますが、「頭がいいんですね」と言われるのは違和感があります。私がもし、現在形で「頭がいい」のだとすれば、それは東大医学部卒だからではなく、そのあともずっと勉強しているからです。

