餓死者の肉を食した「三木の干殺し」

秀吉がなにを原因に、信長の許可なく勝手に戦線を離脱するという思い切った行動に走るに至ったのか、具体的なことはわかっていない。しかし、勝家と意見が合わないということは、2人のタイプを思い描いただけでも容易に想像できる。

秀吉らしさは、この時期からの戦い方に典型的に現れている。味方の損失は最小に止めながら最大の効果を得る、というものである。

天正6年(1578)3月に開始された三木合戦では、離反して毛利方にくみし、三木城(兵庫県三木市)に籠城した別所長治に対し、徹底した兵糧攻めを行った。三木城の周囲に40もの付城(敵の城に対峙して築かれる臨時の城)を築き、1年10カ月にわたって包囲。食料の補給路を完全に断って、別所一族の自刃と引き換えに、城兵を助ける約束で降伏へと導いた。