中国に依存しないと生きていけない
波風がありつつも拡大してきた交易の歴史は、2014年に突如として途切れる。
ロシア政府は以前から、免税枠や往来頻度の制限を設け、「スーツケース貿易」を抑えにかかっていた。そこへ、石油価格の急落とロシアによるクリミア併合への報復制裁が重なり、ルーブルが対人民元で急落する。
ブリリアント・マップスは、通貨暴落でロシア人の購買力が激減し、川を渡る行商はたちまち採算割れに陥ったと振り返る。ブラゴヴェシチェンスクで観光ビザを使い中国商品を売っていた中国人商人の多くも、撤退を余儀なくされた。対岸の黒河でも多数の商店が打撃を受けている。
行商が消滅したことで、越境インフラをめぐる交渉の構図も一変した。極東連邦大学のアルチョム・ルキン氏はCNNの取材に対し、中国はかねて国境インフラの整備を求めてきたが、ロシアは中国への依存が深まることを恐れ、「最近まで難色を示していた」と振り返る。拒む余裕が、まだあったわけだ。
だが2014年のクリミア併合と西側の反発を境に、ロシアの姿勢は「はるかに開放的」に転じたという。むしろ開放的になったというより、拒む力を失ったとも言える。「今やロシアに選択肢はない」と同氏は言い切る。
かつては中国への依存を恐れていたが、もはやリスクとして避ける余裕を失った。生き残りを賭けた必然の策として、ロシアは中国との国境を流れるアムール川の対岸へと引き寄せられていった。
中ロを結ぶ大橋の寂しい利用実態
かつて交易に積極的なのは中国側だった。中国は何年も前から橋を架けようと提案しており、費用は中国側が出すとまで持ちかけた。
それをロシアは引き延ばし続けた。黒河が推進する「姉妹都市」構想にも、ブラゴヴェシチェンスク側は及び腰だった。匿名の市当局者は、スレートの取材に、「この関係を押し進めているのは常に黒河側だ」と言い切る。「向こうは中央政府から多額の資金を受けているから、事業やプログラムの提案がいくらでも出てくる。でも、こちらにはそんな資金がない」
橋のなかった時代、川を渡る手段は、顔の利く業者だけが運航を許されたフェリーのほか、ホバークラフトや氷上道路などに限られていた。フェリーではわずか10分の渡河に40ドル(約6400円)超がかかる。
ロシアが拒み続けてきたその橋が、2022年6月、ついに架かった。CNNが伝えた開通式は華やかだ。色とりどりの煙を引く花火に、大型スクリーン越しに列席するロシアと中国の高官。両国から各8台の貨物トラックが国旗を掲げ、約1キロの橋をすれ違いながら渡っていく。
空からはドローンが追いかけて空撮映像に収めており、車列には中国側のトラックに電子機器とタイヤが、ロシア側に大豆油と製材が積まれていた。中国側の工業製品に対し、ロシアが輸出できたのは主に一次産品。積み荷の中身を見れば、両国の非対称はすでに明らかだった。
それでもロシア極東担当の大統領全権代表ユーリー・トルトネフ副首相は、「ブラゴヴェシチェンスクと黒河の橋は、今日の分断された世界において特別な象徴的意義を持つ。ロシアと中国の人民を結ぶ、さらなる友好の糸となるだろう」と胸を張った。
だが、開通式の華やぎが一段落すると、橋の存在は鳴りを潜める。ようやく開通したあと、橋は閑散としたままだ。設計上は1日600台超が通れるはずが、米全国紙のワシントン・ポスト紙の記者がある日の午後に目撃したのは、ブラゴヴェシチェンスク方面から渡ってきた荷台の空いた平台トラック1台きりだったという。

