川底に眠る5000人の無念

アムール川の水底には、現在両国の表面に流れる友好ムードとはまた異なる、洗い流せない記憶が沈んでいる。

1900年、清朝末期の排外運動「義和団の乱」が中国を揺るがすさなか、ロシア当局はブラゴヴェシチェンスク市内の中国人を内通者と疑い、追放を命じた。

義和団の部隊を攻撃するロシア騎兵隊
義和団の部隊を攻撃するロシア騎兵隊(写真=Alphonse Lalauze/Runivers.ru/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

その凄惨な経緯を伝えるブリリアント・マップスは、連行された人々は船を与えられぬまま渡河を強いられた、と述べる。拒んだ者は銃殺処分となり、残りの大半は溺死した。犠牲者は、中国側の記録によると約5000人にのぼる。

「川は血に染まった」と、ワシントン・ポストの取材に黒河の住民、リウ氏は語った。

黒河郊外の愛輝歴史陳列館に赴けば、虐殺の記憶とともに、さらに古い傷の証が展示保存されている。1858年のアイグン条約でアムール川以北をロシアに割譲させられた、屈辱の歴史だ。

「現代のロシアに責任はない」

愛輝歴史陳列館に孫を2度連れてきたというワン氏は、孫たちに「国の屈辱を忘れるな」と言い聞かせる。「国には強い国防が必要だ。そうでなければどうなるか。鉄条網を切って農民を川に突き落としたではないか」とも語った。

川の両岸には、それぞれの傷を刻んだ記念碑が残る。だが、それを過去のものとして語ろうとする声もある。ソ連兵としてこの地で従軍していたボリス・ベロボロドフ氏はアイリッシュ・タイムズの取材で、この歴史を「悲劇であり、痛みを伴う」と認めた。

その上で、「現代のロシアに責任はないことは誰もが理解している」と続け、こう言い切った。「中国側の公式な立場は『平和・友好・協力』であり、人々も本当にそう感じている」。

もっとも、実態はそこまで美しくはない。両国はいまも正式な同盟を結んでいない。その関係は、ワシントン・ポストが伝えるように、「便宜的な婚姻」とさえ評されてきた。両岸には記念碑と博物館が暗黒の時代を現在に伝えており、川底には5000人の命が沈む。長き不和の時代に比べ、「平和・友好・協力」の合言葉はまだ新しい。