爆買い旅行で中国に殺到した大量のロシア人
スレートによると、ロシア極東の人口はわずか600万人で、日本の千葉県とほぼ同規模だ。この25年間で約4分の1が失われたと、アイルランドの全国紙のアイリッシュ・タイムズは報じた。国境の向こう、中国東北3省(黒竜江・吉林・遼寧)には約1億1000万人が暮らし、日本の総人口に迫る。発展著しい対岸の黒河をポチョムキン村だと貶しつつ、ブラゴヴェシチェンスクの人々の日常は黒河との交易に支えられている。
遡れば、1989年のこと。中ロの国境が再開するや否や、安い中国製の衣料品や電子機器を求め、ロシア人たちはフェリーでアムール川を渡り始めた。
スーツケースに商品を詰め込んで持ち帰る「スーツケース貿易」がたちまち広がったと、英地図情報ウェブサイトのブリリアント・マップスは報じている。対ロシア交易は、黒河発展のチャンスでもあった。ロシア人の短期滞在に対しては、ビザすら免除して門戸を開いた。
歓迎ムードを壊した「マトリョーシカ事件」
黒河は対岸のロシア人を呼び込むため、あらゆる手を尽くした。通りにキリル文字の標識を掲げ、建物にロシア風の尖塔を載せ、夜になればラスベガスさながらのイルミネーションで川面を照らした。
いつしか街は、ロシアに渡らずともロシア気分を味わえるように。海外気分を味わおうと、中国国内の観光客まで足を運んだ。
だが、歓迎は双方向とはならなかった。スレートによれば、対岸のブラゴヴェシチェンスクには中国語の表記がほとんど見当たらない。ブリリアント・マップスによると、ブラゴヴェシチェンスクに住む住民の一部は、黒河が夜ごと催すライトショーを、まるで近代性と顕著な発展の見せつけではないかと解釈。かえって反感を抱いたという。
歓迎の意思表示をロシア側が侮辱と受け取った、象徴的な一件がある。
2007年、黒河市はロシア名産の入れ子人形「マトリョーシカ」をかたどったごみ箱を、市内各所に設置した。これにロシアが猛反発した。「自国の文化をゴミ扱いされた」としてテレビの全国ニュースで報じられ、ロシア外務省が正式に抗議する外交問題にまで発展した。黒河市は慌ててごみ箱を塗りつぶし、事態を収めている。

