死ねばリン酸カルシウムが残るだけ

では、ポックリ死んだらどうなるか。

以前、お坊さんとノンフィクション作家さんとで鼎談をしたことがある。その時、死生観の話になった。どうお考えですかと尋ねられて「いやぁ、死んで焼かれたら、骨の成分であるリン酸カルシウムが残るだけですから」と答えてドン引きされてしまった。「死ねばリン酸カルシウム」、本当にそう思っているのだから、いたしかたなし。

そんな考えだから、基本的にはポックリいってもしゃぁないわなぁと考えている。

確かに残された人は大変かもしれない。幸いなことに、すでに隠居しているので、仕事の引き継ぎなどはない。やり残したこともほとんどない。まだ行きたいところはいくつか残っているけれど、どれだけ行ってもキリのないことだろう。

孫の将来とか、世界がどうなっていくか、とか知りたい気はするが、決して明るいことばかりではないのだから、プラスマイナスでどうなるかは微妙だ。残して恥ずかしいようなことはほとんどないように思うし、もしもコンピューターから見つかったりしても、もう死んでしまっているのだから、どうということもない。こんな人やったんかと呆れられたところで恥ずかしさを感じることもないやんか。

なので、個人的には、がんとポックリはどちらがいいとも言いがたい状況と考えている。

老衰については難しい。すでに69歳、海外トレッキングに出かけたりはしているものの、体の衰えは如実である。物忘れなど、認知能力にもかなり陰りが出てきているような気がするし。これがどれくらいの速度で進むのか、どこまでいくのか……。どの病気になるかは予測不可能だけれども、老化が進んでいくことだけは確実である。

「死んだほうがマシ」と繰り返した母

がんで死ぬかどうかを考えると、どうしても母親のことを思い出してしまう。91歳で亡くなったのだが、最期は認知症がひどくて、見ていられないほど可哀想だった。

仲野徹『自分事として向き合うための手控え帖 がんは運である?』(KADOKAWA)
仲野徹『自分事として向き合うための手控え帖 がんは運である?』(KADOKAWA)

中途半端な時期には認知症であることぐらいは認識できていて、亡くなる1年くらい前からは、こんなになるのなら死んだ方がましと、ひとり縁側で寂しそうに座って毎日何度も繰り返していた。

そういった状況よりは、認知症がひどくなる前にがんで死ぬ方がましかという気もする。その母親、進行胃がんの手術をしている。以後、再発せずに23年生きて老衰で死んだのだから、完治と言ってもいい。

しかし、胃がんで術後5年くらいで死んでいたらどうだっただろう。それと最期の認知症の悲惨さを天秤にかけることは難しすぎる。曾孫の顔を見るまで長生きできたことはとても喜んでいたし。がんで死にたいかどうかについては、年齢の要素や、がんの治療でどうなるかも勘案する必要があるということだ。

さて、あなたはがんで死にたい派だろうか? 現在の日本では統計的に、男性の4人に1人、女性の6人に1人はがんで亡くなるのだ。縁起が悪いなどと思わずに、がんで死にたいかどうか、一度考えてみる、あるいは、家族や友人と話してみられてはどうだろう。

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