壊れることではなく直せないことが問題だ

この違いは決定的である。これまで通信は、壊れたら直すものだった。つまり時間差を前提としたインフラである。しかしスターリンクは、その時間差を限りなくゼロに近づける。災害が起きた瞬間から通信があるという状態を実現する。このとき通信は、復旧の対象ではなく、復旧の起点になる。

能登半島地震で見られたもう一つの重要な変化は、通信の役割そのものに対する認識である。避難所や自治体での利用だけでなく、被災者自身が通信を使い、家族と連絡を取り、情報を得て、日常の一部を取り戻していった。この光景は、通信が単なる機能ではなく、生活の基盤であることを改めて示した。

スマホを使用する高齢者の手元
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ここで立ち止まって考える必要がある。通信とは何のためにあるのか。従来の議論では、通信は情報を伝達する手段として語られてきた。しかし実際にはそれ以上の意味を持っている。人と人をつなぎ、孤立を防ぎ、安心感を生み出す。極端に言えば、通信は社会そのものを維持するための装置である。

この視点に立つと、スターリンクの意味はさらに明確になる。それは通信の“代替手段”ではない。むしろ、通信を失わないための構造そのものである。地上のインフラが壊れることを前提に、それでもなお機能し続ける層を上に重ねる。この二層構造によって初めて、通信は真の意味でのインフラになる。

通信はなぜ社会を維持する装置なのか

ここで第2章の議論に戻ると、スターリンクが「前提条件を変える」という意味がより具体的に理解できる。災害時に通信があるかどうかは、単なる利便性の問題ではない。それは、何ができるか、どこまで行動できるかを決定する条件である。通信があれば救助は進み、情報は共有され、意思決定は続く。通信がなければ、それらはすべて停止する。

つまり通信は、社会の活動の上に乗るものではない。

社会の活動そのものを成立させる条件である。

この構造が見えたとき、日本の通信会社の動きもまた違って見えてくる。彼らがスターリンクを導入するのは、新しい収益機会を求めているからではない。それだけではない。むしろ、通信会社としての責任を果たすために必要な構造を取り込もうとしているのである。

ここで重要なのは、これは日本特有の話ではないという点だ。災害はどの国でも起こりうるし、戦争や紛争といった極限状況では、通信の断絶はより深刻な問題になる。つまりスターリンクが示したのは、日本における一つの事例ではなく、現代社会における通信の限界と、その突破の方向性である。

第1章では、日本の携帯キャリアがなぜ同時に動いたのかという違和感から出発した。第2章では、スターリンクが通信の前提条件を変える存在であることを見た。そしてこの第3章で、その変化がすでに現実の中で意味を持ち始めていることが確認できた。

ここまでくると、次に問うべきは別の次元の問いになる。

スターリンクは通信を変えるのか。それとも、それ以上のものを変えるのか。

この問いに答えるためには、スターリンクを単体で見るのではなく、それを生み出した構造全体を見る必要がある。すなわち、イーロン・マスクが構築している企業群の中で、スターリンクがどのような位置にあるのかという問題である。