7日に米国とイランが合意した停戦内容をめぐり、双方に認識の食い違いが起きている。11日、12日には両国の代表団が戦闘終結に向けた協議を行ったが、合意に至らなかった。なぜ停戦協議は進まないのか。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「言語も価値観も生き方も違う、いわば『異星人』を相手にするには、相互理解の前に『条件の明文化』が不可欠だ。トランプ大統領が当初設計したプロトコルには根本的欠陥がある」という――。
触れ合うAIロボットの手と人間の手
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本当にこの物語は宇宙の話なのか?

宇宙を舞台にしたある作品を見た。

アンディ・ウィアー著『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(早川書房)と同書を原作とする映画である。人類の危機、未知の存在、そして協働――そうした要素が並ぶ、いわば典型的なSFの設定である。

だが、原作を読み終えたときに残ったのは、壮大な余韻ではなく、奇妙な違和感だった。「本当にこの物語は宇宙の話なのか?」という問いである。

宇宙という言葉は便利だ。距離も時間も想像を超え、人間の常識を簡単に飛び越える。だが、どれほど遠くを描いても、そこで起きていることが人間の現実と接続していなければ、それは単なる背景に過ぎない。

では、この作品は何を描いていたのか。そして、なぜ2026年を生きる私たちに、これほどリアルな問題意識として響くのか。

何一つ共通点がない相手との出会い

物語の中盤、主人公は宇宙の深部でまったく予期しない存在と出会う。

詳細はぜひ本書を手に取って確かめていただきたい。ここでは内容を明かさず、その「構造」だけを語ろう。

重要なのは、出会った瞬間から両者の間には、言語も価値観も物理的な体の仕組みすら、何一つ共通点がないという事実だ。相手が何を考えているのか、どんな感情を持つのか、そもそも「感情」という概念すら当てはまるのかどうか――主人公には最後まで完全にはわからない。文字通り「完全に理解不能な他者」との出会いである。

だがここで作者が描くのは、恐怖でも排除でもない。

二者は、理解できないまま、少しずつ「共通で機能するもの」を積み上げていく。完全な理解は諦め、代わりに「一緒に動くための仕組み」を一つひとつ構築していく。意図を理解できなくても、行動の結果が再現できるならば――という原理で、信頼が少しずつ積み上がっていく。

この場面を読んだとき、私は思わず本を閉じた。

これは宇宙の話ではない、と。